佐々陽太朗の日記

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『寺山修司詩集』(寺山修司・著/ハルキ文庫)

寺山修司詩集』(寺山修司・著/ハルキ文庫)を読みました。

まずは出版社の紹介文を引きます。

詩・短歌・俳句・戯曲・エッセイ…戦後の高度経済成長時代を駆け抜けていった寺山修司は、一人の詩人としても巨大な足跡を文学史に残した。本書ではマザーグースの翻訳詩や、ケストナーからヒントを得た「人生処方詩集」、著者が若き日のすべてを注ぎ込んだ歌集・句集から少女歌集、歌謡曲から戯曲、未刊詩集までを収録。あらゆる人々を魅了してきた青春の痛みと優しさを包んだ寺山修司のエッセンス。

 

 

寺山修司詩集 (ハルキ文庫)

寺山修司詩集 (ハルキ文庫)

 

 

 私にとっての寺山修司は次の2編の詩です。短歌でも、俳句でも、歌謡曲でも、戯曲でもなく、これら2編の詩です。

 彼は実に多様な顔を見せていた。詩人、編集者、歌人俳人、戯曲作家、映画監督、脚本家、ルポ・ライター、小説家、エッセイスト、演出家、放送作家、作詞家、競馬評論家、劇団主催者、コメンテーター、あらゆる見られ方を許した昭和のアジテーターであった。その顔のひとつがこれら2編の詩に垣間見える。みずみずしい若さと傷つきやすさ、これこそが彼の本質なのではないかと思う。もちろん他の顔も本当の彼であろう。しかし、いろいろな顔で守られた内にある彼のやわらかい部分を、私はこれら2編の詩に見るのだ。

 

五月の詩

きらめく季節に
だれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ

夏休みよ さようなら
僕の少年よ さようなら
ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ 重たい
本 すこし
雲雀の血のにじんだそれらの歳月たち

萌ゆる雑木は僕のなかにむせばんだ
僕は知る 風のひかりのなかで
僕はもう花ばなを歌わないだろう
僕はもう小鳥やランプを歌わないだろう
春の水を祖国とよんで 旅立った友らのことを
そうして僕が知らない僕の新しい血について
僕は林で考えるだろう
木苺よ 寮よ 傷をもたない僕の青春よ
さようなら

きらめく季節に
だれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ

二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこと時 僕は僕の季節の入口で
はにかみながら鳥たちへ
手をあげてみる

二十才 僕は五月に誕生した

 

幸福が遠すぎたら

さよならだけが 人生ならば
また来る春は 何だろう
はるかなはるかな 地の果てに
咲いている 野の百合 何だろう

さよならだけが 人生ならば
めぐり会う日は 何だろう
やさしいやさしい 夕焼と
ふたりの愛は 何だろう

さよならだけが 人生ならば
建てた我が家 なんだろう
さみしいさみしい 平原に
ともす灯りは 何だろう

さよならだけが 人生ならば
人生なんか いりません