佐々陽太朗の日記

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『清冽 詩人茨木のり子の肖像』(後藤正治・著/中公文庫)

『清冽 詩人茨木のり子の肖像』(後藤正治・著/中公文庫)を読みました。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

「倚りかからず」に生きた、詩人・茨木のり子。日常的な言葉を使いながら、烈しさを内包する詩はどのように生まれたのか。親族や詩の仲間など、茨木を身近に知る人物を訪ね、その足跡を辿る。幼い日の母との別れ、戦時中の青春時代、結婚生活と夫の死、ひとりで迎えた最期まで―七十九年の生涯を静かに描く。

 

清冽  - 詩人茨木のり子の肖像 (中公文庫)

清冽 - 詩人茨木のり子の肖像 (中公文庫)

 

 

  茨木のり子さんのことをあまり知りませんでした。「わたしが一番きれいだったとき」を微かに知っていた程度のことである。その詩が世に出たのは1958年。私が生まれる一年前のこと。世代としては私より一世代前なので、あまり注目もしてこなかったのだ。

 あらためて本書で「わたしが一番きれいだったとき」を読んでみて、あぁ、これは教科書に採り上げられるべくして採り上げられたのだなあと妙に納得した。茨木氏が意図したことではないだろうが、いかにも反戦平和に凝り固まった教科書監修者が採り上げそうな詩である。けっして茨木氏の詩をくさしているわけではありません。茨木氏らしい強く真っ直ぐな心情が伝わってくる佳作だと思う。大人になろうとする少女にとっての戦争がどのようなものであったかが直截に表現されており、ひとたび読めば作者の心情が深く心に染み込んで忘れ得ないものになるのだ。良い詩だと思う。私がイヤなのは、この詩の持つある種の感傷を政治的プロパガンダに利用しようとすること。これは詩であって、イデオロギーや政治的スローガンとは峻別されなければならない。そのあたりをごちゃごちゃにすることはこの詩に対する冒涜であると感じる。左翼思想に凝り固まった偏狭な輩に道具として利用して欲しくないのだ。

 

  わたしが一番きれいだったとき

    わたしが一番きれいだったとき
    街々はがらがら崩れていって
    とんでもないところから
    青空なんかが見えたりした

    わたしが一番きれいだったとき
    まわりの人達がたくさん死んだ
    工場で 海で 名もない島で
    わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

    わたしが一番きれいだったとき
    だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
    男たちは挙手の礼しか知らなくて
    きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

    わたしが一番きれいだったとき
    わたしの頭はからっぽで
    わたしの心はかたくなで
    手足ばかりが栗色に光った

    わたしが一番きれいだったとき
    わたしの国は戦争で負けた
    そんな馬鹿なことってあるものか
    ブラウスの腕をまくり
    卑屈な町をのし歩いた

    わたしが一番きれいだったとき
    ラジオからはジャズが溢れた
    禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
    わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

    わたしが一番きれいだったとき
    わたしはとてもふしあわせ
    わたしはとてもとんちんかん
    わたしはめっぽうさびしかった

    だから決めた できれば長生きすることに
    年とってから凄く美しい絵を描いた
    フランスのルオー爺さんのように
                  ね

 

 政治的あるいは思想的ととらえることのできる詩として「四海波静」がある。

四海波静
                 
戦争責任を問われて
その人は言った
  そういう言葉のアヤについて
  文学方面はあまり研究していないので
  お答えできかねます

思わず笑いが込みあげて
どす黒い笑い吐血のように
噴きあげては 止り また噴きあげる

三歳の童子だって笑い出すだろう
文学研究果さねば あばばばばとも言えないとしたら
四つの島
笑(えら)ぎに笑(えら)ぎて どよもすか
三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア

ざらしのどくろさえ
カタカタカタと笑ったのに
笑殺どころか
頼朝級の野次ひとつ飛ばず
どこへ行ったか散じたか落首狂歌のスピリット
四海波静かにて
黙々の薄気味わるい群衆と
後白河以来の帝王学
無音のままに貼りついて
ことしも耳すます除夜の鐘

 

  これなど昭和天皇の戦争責任を糾弾する意図を持って書かれたものかもしれない。昭和天皇ホワイトハウスでの「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言に対する記者の「戦争責任を感じているという意味に解して良いか」との質問に「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」と天皇陛下がお答えになったという朝日新聞の報道にふれた茨木氏が激情をもって直截な憤りを表現したものだ。同時になまぬるいジャーナリズムや天皇に責任を押しつけて被害者の位置に身を置こうとする民衆に対するいらだちも表現しているとも思える。この詩をどうとらえるべきか。タブーとされる領域にあえて踏み込んだ勇気をたたえるべきかもしれない。しかし私はそんな気にはとてもなれない。表現者はピュアで正直であってよいのかもしれない。しかし表現者は人にある種の影響を与えることを意図している以上、ただ単に思ったこと感じたことをまき散らせば良いというものではないだろう。現に詩人は語った言葉がどのように人に伝わるかを計算しつくして言葉を選んでいるはずだ。私が本書を読んで知った茨木氏のお人柄からして、このような詩を世に出されたことが到底理解できない。

 昭和天皇はその立場からして自分の思ったことをそのまましゃべれる状態にない。ひと言でも本心をさらけ出してしまったら、必ずまわりを巻き込んでしまい大事になってしまう。そのひと言がまわりを煩わせ、へたをすればそれがために人生が変わってしまう人を生んでしまう怖れすらあるのだ。天皇家という家系に生まれ、好むと好まざるとにかかわらず必然的に天皇の地位に就いた人の苦しみは常人には計り知れない。何気ないひと言が周りの者の忖度を生んでしまい、周りを煩わせてしまう。自分以外に同じような立場の人間はいない。そのような存在でありながら、戦争責任を認める認めないといった国を二分しかねないような発言ができるわけがないではないか。忸怩たる想いを秘めながらやむなく”三歳の童子だって笑い出す”ような答えしかできない苦しみを分かって差し上げられなかったのだろうか。天皇であるが故の寂寥感をわかって差し上げられなかったのだろうか。茨木氏は、本書を読む限り自身の寂寥や苦しみを決して人に頼らず、人を思いやり、人の手を煩わせることを嫌い、品性を持ってひとり背筋を伸ばして清冽に生きていらっしゃった方だ。そんな方がそのことに思い至らなかったとすれば残念なことだ。本書を読んで茨木氏の人格あるいは品性に惹かれるだけに、この詩は茨木氏の唯一の汚点と思える。

 さて、茨木のり子さんについて少々ネガティブなことから書いてしまったが、先ほど書いたように本書で私は茨木のり子さんに魅せられている。茨木さんの詩は、吉本隆明さんをして「言葉で書いているのではなくて人格で書いている」と言わしめるほど、彼女の持つ品性がそれこそ”清冽に”現れている。そんな詩を以下に引いてみる。

 

 

 ―Y・Yに―

 

大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始るのね 墜ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなかった人を何人も見ました

 

(抜萃)

 

 自分の感受性くらい

 

    ぱさぱさに乾いてゆく心を
    ひとのせいにはするな
    みずから水やりを怠っておいて

    気難しくなってきたのを
    友人のせいにはするな
    しなやかさを失ったのはどちらなのか

    苛立つのを
    近親のせいにはするな
    なにもかも下手だったのはわたくし

    初心消えかかるのを
    暮らしのせいにはするな
    そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

    駄目なことの一切を
    時代のせいにはするな
    わずかに光る尊厳の放棄

    自分の感受性くらい
    自分で守れ
    ばかものよ

 

  倚りかからず

    もはや
    できあいの思想には倚りかかりたくない 
    もはや
    できあいの宗教には倚りかかりたくない
    もはや
    できあいの学問には倚りかかりたくない
    もはや
    いかなる権威にも倚りかかりたくない
    ながく生きて
    心底学んだのはそれぐらい
    じぶんの耳目
    じぶんの二本足のみで立っていて
    なに不都合のことやある

    倚りかかるとすれば
    それは
    椅子の背もたれだけ

 

 本書を読み、「ーY.Yに-」に書かれたように”墜ちてゆく”ことを自らに決して許すことなく、凜として立ち、清冽に生きようとした茨木さんを知ることとなった。そして茨木さんの品性に強く惹かれた。「自分の感受性くらい」「倚りかからず」を折にふれて読み返していこう。そんな気分である。