佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『海鳴り 上・下』(藤沢周平・著/文春文庫)

『海鳴り 上・下』(藤沢周平・著/文春文庫)を読みました。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

老いを感じる男の人生の陰影を描いた傑作長篇

心が通わない妻と放蕩息子の間で人生の空しさと焦りを感じる紙屋新兵衛が、薄幸の人妻おこうに想いを寄せ、深い闇に落ちていく。

【上巻】

はじめて白髪を見つけたのは、いくつの時だったろう。四十の坂を越え、老いを意識し始めた紙商・小野屋新兵衛は、漠然とした焦りから逃れるように身を粉にして働き、商いを広げていく。だが妻とは心通じず、跡取り息子は放蕩、家は闇のように冷えていた。やがて薄幸の人妻おこうに、果たせぬ想いを寄せていく。世話物の名品。

【下巻】
この人こそ、生涯の真の同伴者かも知れない。家にはびこる不和の空気、翳りを見せ始めた商売、店を狙い撃ちにするかのような悪意―心労が重なる新兵衛は、おこうとの危険な逢瀬に、この世の仄かな光を見いだす。しかし闇は更に広く、そして深かった。新兵衛の心の翳りを軸に、人生の陰影を描いた傑作長篇。

 

新装版 海鳴り (上) (文春文庫)

新装版 海鳴り (上) (文春文庫)

 
新装版 海鳴り (下) (文春文庫)

新装版 海鳴り (下) (文春文庫)

 

 

 こういう不倫ものは難しい。読み手の道義心にスイッチが入ってしまうことがあるからだ。現に私のつれ合いはこの小説を嫌っている。主人公・小野屋新兵衛が外に女を囲ったり、人妻に心を寄せたりするのだから、つれ合いの気持ちもわからないではない。しかし、これが江戸時代の富裕な商家の主人のすることであれば、当時としては外に女を囲う程度のことは目くじらを立てるほどのことはない。従って、道義心スイッチをオフにして読むがよろしい。

 しかし、小説の舞台が江戸時代であることを思えば、不倫は大問題である。人の女房に手を出すなど命がけの所業であって、表沙汰になれば不義密通の廉で死罪は免れない。現代のように節操なくすぐに寝ておいて「一線は越えていない」などといけしゃあしゃあと宣うような軽佻浮薄な時代ではないのだ。つまりこのダブル不倫は死と覚悟の上のことなのである。それどころか、お互いの家、家族もただでは済まない。築いてきたもの、守ってきたもの、すべてを失うことを想定してなお、やむにやまれず突き動かされた結果なのだ。

 さて、小説の出来を少々評してみたい。いつもながらに藤沢氏の文章は美しい。やわらかな表現で風景や登場人物の心象が鮮やかに表される。読み手の心にしみじみと沁みてくるのである。若い頃から成り上がることだけを心に決めてひたすら奮励してきた男が自らの老いを感じたときにふと心に揺らぎを感じる。「確かに一応の成功は手にした。しかし、このまま仕事だけで終わっていいのか・・・俺の人生はこんなものか」と。妻や息子が自分のやってきたことをさほど評価してくれていないとなればなおさらだ。その心の隙間におこうという美しい人が入ってくる。人生は偶然の成り行き、神様のいたずらに翻弄されるものだ。いつかお互いに抜き差しならなくなり、とうとう駆け落ちする。と、このようにあらすじをたどると「渡辺淳一か!」とツッコミが入りそうだが、ただの不倫小説にならないところ、美しく味わい深いブンガクになっているところが藤沢周平なのだ。(渡辺淳一さん、ごめんなさい。藤沢好きの戯言とお聞き流しください) 実は藤沢氏は結末に心中を考えていたという。氏は「長い間つき合っているうちに二人に情が移ったというか、殺すにはしのびなくなって、少し無理をして江戸からにがしたのである」と記している。私も二人に情が移ってしまった。二人が無事に江戸から逃れ、水戸でひっそりと寄り添って暮らしたと思いたい。