佐々陽太朗の日記

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『君の嘘と、やさしい死神』 (青谷真未・著/ポプラ文庫ピュアフル)

『君の嘘と、やさしい死神』 (青谷真未・著/ポプラ文庫ピュアフル)を読みました。

まずは出版社の紹介文を引きます。

読書メーター第1位!(読みたい本「日間」ランキング)

きっと奇跡は起こらない。――最期の思い出を、ください。その恋は、サヨナラと一緒に降ってきた――。通り雨が過ぎて虹が出た昼休み、高二の百瀬太郎は同学年の美園玲と運命的に出会う。美少女なのにクラスメイトとどこか距離を置いているクールな玲に、何故か百瀬はなつかれる。幼少期のトラウマで「嫌だ」と言えない性格もあって、百瀬は強引に文化祭の準備を手伝わされる羽目になり、「ある作戦」を実行するため奔走するうち、二人の気持ちは近づいていく。そんな時、逃れられない過酷な出来事が二人を襲う。感動、切なさ、悲哀、そして愛しさ……温かな涙が溢れる、究極の青春ラブストーリー。

著者:青谷真未(あおや・まみ)「鹿乃江さんの左手」で第二回ポプラ社小説新人賞・特別賞を受賞し、同作デビュー。

 

(P[あ]8-4)君の嘘と、やさしい死神 (ポプラ文庫ピュアフル)

(P[あ]8-4)君の嘘と、やさしい死神 (ポプラ文庫ピュアフル)

 

 

 青谷真未さんの作品を初めて読みます。正直なところ物語の半ばにさしかかるまでは「読まない方が良かったかな?」と後悔し始めていた。おそらく年齢ギャップが物語にのめり込むことを邪魔していたのだろう。私はもうすぐ59歳になる。青春恋愛小説を読んで良い歳ではない。しかし読んで悪いということもない。私は日本国憲法によって基本的人権が保障されている。基本的人権に読書の自由があるのかどうか知らないが「国家から制約も強制もされず、自由に物事を考え、自由に行動できる権利」たる自由権があるのならば、60歳手前のオジサンが斯かる小説を読むこともまた許されるはずである。ティーンエイジャーからは眉をひそめられるかもしれないが大きなお世話だ。とはいえ昨今の若者を主人公にした学園恋愛ものに感情移入するまでにはいささか時間がかかった。

 しかしながら、この小説のテーマに落語か関わっており、しかもそれがヒロインの心情を理解する上で重要な意味を持っていることが明らかになってくる後半になると一気に物語の世界に引き込まれた。終盤にさしかかるまで何故ヒロイン玲が文化祭で落語をやることにこだわるのかという疑問は謎のまま話は進む。何故か? その答えが判ったとき、私の心は切なさに震えた。

【以下、ネタバレ注意】

 玲が文化祭にかけようとした落語は「佃祭(つくだまつり)」。祭り好きな神田お玉ヶ池の小間物屋・次郎兵衛が祭り見物して、渡し舟の最終便に乗り込もうとするところを女に引き留められる。実はその女は三年前に本所一ツ目の橋から身を投げるところを次郎兵衛に助けられ、五両恵まれた女だった。女は、今では船頭の辰五郎と所帯を持っているので、いつでも帰りの舟は出せるから、ぜひ家に来てほしいと、願う。言葉に甘えることにして、女の家で一杯やっていると、外が騒がしい。さっきの渡し舟が人を詰め込みすぎ、転覆したという。次郎兵衛は、もし三年前に女を助けなければ今ごろは仏さまだと胸をなで下ろす。一方、次郎兵衛の長屋では沈んだ渡し舟に次郎兵衛が乗っていたらしいと大騒ぎ。坊さんを呼んで仮通夜をつとめているところへ帰ってきた次郎兵衛。長屋の住民は幽霊だと勘違いして大騒ぎ、といった話。死ぬはずだった人間が、三年前に人助けをしたことによる運命の綾で命拾いするという噺である。

 もう一つ、玲が好きでよく聴いている落語が「死神」である。玲が落語を聴くきっかけになった噺である。あらすじはこうだ。借金で首が回らなくなった男がこうなったら死んでやろうかと考えているところに死神が現れる。死神は男に「お前はまだ死ぬ運命にない。金儲けの方法を教えてやろう。医者になれ」という。死神が言うには「すべての病人には人の目には見えないが死神が付いている。死神が枕元にいれば病人は助からない、足元にいる場合は死神を退散させることができる。死神が足下にいれば呪文を唱えて柏手を二つ打てば死神は消えて病人はたちまち元気になる」とのこと。男はそれをうまく使って、さも自分が病人を治したように振る舞う。一躍男は名医ともてはやされ財をなす。しかし男は調子にのって放蕩散財のかぎりをつくし全財産を失ってしまう。再び大金を手にしたいと瀕死状態のある大富豪を診たが、あいにく死神は枕もと。しかし治せば一万両もの大金を払うというので男は金に目がくらみ、死神がうとうとしている隙に布団を180度回転させ、死神が足元きたところですかさず呪文を唱えた。病人は全快し男は一万両の金を手にする。死に神は怒った。死神は男を地下の世界へ連れて行く。そこには無数のろうそくが灯っており、すべて人間の寿命なのだという。そして死神はそこにあるずいぶんと短くなったろうそくがおまえのものだ。金に目がくらんで助けた大富豪の寿命と自分の寿命を入れ替えたのだという。男は死神に助けてくれと懇願する。すると死神は男に燃え残りのろうそくを渡し、「これに火をうつしかえることが出来れば、それがお前の新しい寿命になる。失敗して消えたら死ぬ」という。はやくしないと、消えるよ。男は手が震えてしまってなかなか火がつげない。何を震えてる? ほら、早くしろ。消えると死ぬよ。ほら…消えるよ…。ほうら、消えた。しかしこの結末は演者によって違うという。演者がそれぞれにオチをアレンジして、男に小さな娘がいることを知った死神が同情して、男にもう一度チャンスをやって、なんとか助かった男は家族と幸せに暮らしたというハッピーエンドもあるというのだ。玲が落語を聴くきっかけになったのが「死神」であったということ、そして、落語においては生死にかかわる運命が変わる、変えられるというのがこの小説の味噌である。

 古典といわれ語り継がれた落語は三百席を超えるが、その中で「死」をテーマにしたものは一割を超える。昔はそれほど死が隣り合わせにあり、人は突然訪れる「死」の運命の前になすすべがなかった。落語はその避けられない運命をユーモアで笑い飛ばした。「死神」においてろうそくの形で見える寿命。ろうそくの炎はちょっとした風が吹けば消えてしまうし、風で消えなくても残った長さはいつかは尽きる。人の力では如何ともしがたい運命としてとらえる寿命。あるいは逆にろうそくの寿命を人のものと取り替えたり、別のろうそくに火を継ぐことで延ばせるものとしてユーモアに変えてしまう寿命。「死への怖れ」と「生への希望」。医者から死を宣告された人間にとって、落語の死生観は果たして救いとなるのか。私はそうであってほしいと願う。