佐々陽太朗の日記

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『管見妄語 始末に困る人』(藤原正彦・著/新潮文庫)

管見妄語 始末に困る人』(藤原正彦・著/新潮文庫)を読みました。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

 あの日、3月11日。テレビで繰り返し映し出される津波の暴威を呆然と見ては悲嘆にくれ、原稿を一切書けなくなった。やっと筆を執れたのは3週間後のこと。自分を含めた国民を励ます気持ちで執筆した「日本の底力」――。国家の危機に際し、リーダーに求められる資質とは何か。世界が感嘆する日本人の可能性をどう生かすのか。時に厳しく時にユーモア溢れる言葉で紡ぐシリーズ第二弾。

  

管見妄語 始末に困る人 (新潮文庫)

管見妄語 始末に困る人 (新潮文庫)

 

 

 ここ数日TVで始末に困る人を苦々しく見ることがしょっちゅうある。(誰のことかは個人批判になるので明かさない) そんなことから、さて次は何を読むかと本棚にある積読本の山から本書を選んだ。ところがどっこい、藤原正彦氏のいう「始末に困る人」とは私が思っていたのとは全く別の好意的な意味の言葉であった。

 西郷南洲はこう言った。「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」。出でよ、「始末に困る人」。

(本書P63より)

 なるほど、そういうことであったか。

 本書を読みながら、我が意を得たりと膝を打つこと頻りであった。

 たとえば・・・

 自国が攻められた場合に戦う、というのはごく自然で当然の行動である。自分の家に賊が侵入し、老父母や子供達に手をかけようとしたら、どんな平和主義者でも戦おうとするからだ。「戦わない」とする日本とドイツの現象は、実に不思議な、そして歴史的にも希有のものである。何らかの力が戦後数十年を経た今も強く働いているということだ。

 ・・・(中略)・・・ 勝者である連合国により、巧妙な仕掛けが組み込まれたということだ。

 (本書P25~26より)

 

 実は小泉首相以来、首相はその時の国民的人気で決まっている。・・・(中略)・・・ これは政治が国民の顔色一つで決まる、というポピュリズムに陥ったということだ。・・・(中略)・・・ ポピュリズムは民主主義の最悪バージョンだ。マスコミがポピュリズム増幅器となっている。

 (本書P32より)

 

 元財務相中川昭一氏は稀に見る立派な政治家だったが、酔っ払い会見というヘマをするや、テレビ各社はその醜態をこれでもかこれでもかと流し続け、憫笑し続け、ついに潰したのである。マスコミは成功者がいったんつまずくと、正義を振りかざし大衆を煽る。成功者に対する大衆の嫉妬の火に油を注ぎつつ攻めまくる。リンチだ。正義とはいやなものだ。

 (本書P38より)

 

 日本国とその国民の生存は他国に委ねられてしまったのだ。命がけで守るべき国家という意識が消滅したのだ。必然的に国も個人も自衛意識と危機意識を失った。平和を希求していれば戦争に巻きこまれないし、いざとなればアメリカが助けてくれる、と何もかも他人まかせとなった。それどころか「国家意識をもつと軍国主義につながる」という終戦後のGHQによる洗脳から国民は未だに解かれていない。

 (本書P66~67より)

 

 (政治家の失言問題に関して)・・・

 私から見れば彼らは単に自らの心情を吐露し、歴史認識を開陳し、信条を語ったまでだ。政治家にだって信条や表現の自由があるはずと思うのだが、野党、テレビ、新聞は鬼の首をとったように大騒ぎする。・・・(中略)・・・ いつから日本人は度量を失ったのか。

 

 藤原氏の歴史や国家を見る目は正鵠を射ている。けだし慧眼というべきであろう。