佐々陽太朗の日記

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『裂けて海峡』(志水辰夫・著/新潮文庫)

『裂けて海峡』(志水辰夫・著/新潮文庫)を読みました。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

海峡で消息を絶ったのは、弟に船長を任せた船だった。乗組員は全て死亡したと聞く。遭難の原因は不明。遺族を弔問するため旅に出た長尾の視界に、男たちの影がちらつき始める。やがて彼は愛する女と共にある陰謀に飲み込まれてゆくのだった。歳月を費やしようやく向かいあえた男女を、圧し潰そうとする“国家”。運命の夜、閃光が海を裂き、人びとの横顔をくっきりと照らし出す。

 

裂けて海峡 (新潮文庫)

裂けて海峡 (新潮文庫)

 

 

 先週、久しぶりに志水辰夫を読んだ。読んだのは『疾れ、新蔵!』(徳間時代小説文庫)であった。それを機に本書『裂けて海峡』をもう一度読みたくなった。というのも、私にとってシミタツの魅力は抒情的で熱いシミタツ節にあるからである。そしてシミタツ節がもっとも溢れているのは『裂けて海峡』なのだ。

 クライマックスのシミタツ節を引用しよう。

 おのが肉体を武器として手前の男へぶつかった。その瞬間わたしは無となった。

 叫び、銃の感触、発砲、その反動、炸裂する火焔、耳をつんざいて銃声。眼の前が真っ赤になって爆発する。夜のしじまが引き裂けて堕ちた。飛び散って人影、おのが肉体を貫いてある衝撃、咆哮、悲鳴、唯一の帰結、死。

 絶叫している。

 絶叫しながら船内を駆け抜けている。死が走る。通信室から飛び出して来た男が真っ二つになって窓際へ飛んだ。次はブリッジだ。エンジンルームだ。肉塊を飛び散らせてみな死ぬ。

 わたしは風だ。どんな隙間も見逃しはしないつむじ風だ。おまえらには見えない。追うこともつかまえることもできない。船の人間を皆殺しにするまでこのつむじ風が吹き止むことはない。

 どこだ、出てこい!

 これです。これぞシミタツ節。たまりませんね。

 そしてラストシーン。

さあ、もういい。行こう。行かなくてはならない。

再び意志の下に肉体を統率するのだ。

立て。そして行こう。

行かなくては。

もう行かなくてはならない。

星だ。星が流れている。わたしの光芒だ。理恵の瞬きだ。

そうだ。

理恵。

そばに行くのが少し遅れる。

まだ、し残していることがある。

すませてからそこに行く。

おまえのために祈っている。

天に星。

地に憎悪。

南溟。八月。わたしは死んだ。

 ちょっとクサイけれど、良い。すごく良い。鳥肌がたつ思いの後、しばし放心。余韻に浸る。

 このラストシーンの書きぶりですが、本書、2004年新潮文庫版と1986年講談社文庫版で少しちがう。

 講談社文庫版は以下のとおりである。

天に星。

地に憎悪。

南溟。八月。わたしの死。

 志水氏が何故書き換えたのかはわからない。なるほど新潮文庫版のほうがしっくりくる。しかし、わたしは講談社文庫版を推す。徹底した体言止めでテンポと余韻においてこちらの方に軍配があがる気がする。どちらが良いか、それはそれぞれの読者の好みに委ねられるべきものだろう。

 

 本書の魅力は主人公・長尾知巳の生き方にある。己の規範を持ち、それを絶対に逸脱せずに生きる姿はまさにハードボイルドの精神である。その規範は法律や世間が決めたものではなく、あくまで己の善悪の判断、美意識なのです。ヒロイン理恵への想いは深いが、けっして「愛しているなどと据わりの悪い日本語」を吐けるわけがないという、世も令和になろうとする今はもういない絶滅危惧種です。昭和的ですねぇ。インテリでセンチメンタルでやせ我慢。自己抑制的でタフであるが、同時に弱さを持つ。その弱さは他人に対する優しさと思いやりです。

 もともとハードボイルド小説の大ファンである私の心に再び火がついてしまいました。次は『飢えて狼』を読もう。