「山の上の家」とは神奈川県の生田駅から南へ1kmほどの丘陵にある庄野潤三氏の家である。庄野氏が逝かれてから10年になるが、年2日だけこの家が一般に公開されることを夏葉社のHPで知った。矢も楯もたまらず出かけた。
私は庄野氏を高校1年の頃に読んだ。同級生のF君に姫路駅前の書店「新興書房」で進められたのだ。芥川賞受賞作『プールサイド小景』が収められた短編集『プールサイド小景・静物』(新潮文庫)であった。でも、私の好きな庄野氏はそれではなく、最近になって読み始めた『貝がらと海の音』『ピアノの音』『星に願いを』など、氏が40代中ごろから晩年にかけて書いてこられた家族小説ともいうべき作品群である。そしてそれらの作品の舞台となっているのが「山の上の家」なのだ。そこでは家族の何気ない日常を穏やかで温かく描かれる。おそらくフィクションではない。小説に書かれたようなことが実際にあったのだろう。そういう意味では私小説だと言える。しかしおおかたの私小説が内なる不穏なもの、葛藤といった暗い側面を見つめるのに対して、庄野氏の小説にはそうしたものの一切をそぎ落とし、穏やかでありきたりな日常だけが綴られている。人が生きるのですから辛いこと、悲しいことはあったに違いない。しかし氏はその中に良きものだけを見ようとした。庭には毎年つぐみがやってきて、夏にはハマユウが咲く。楽しかった。嬉しかった。おいしかった。キレイだった。庄野さんの作品にはそのような良きことだけが綴られている。そこには奥様や子どもたち、孫たちを心から慈しみ、己とまわりの人の幸せを切ないほどに希求した姿があります。
Z坂を登り切ったところに「山の上の家」はあります。
玄関先で夏葉社さんが庄野さんの御本を売っていらっしゃいました。古書ですべて初版本だとのこと。記念に一冊だけ『せきれい』を選んで買いました。庄野さんのお家のゴム印を押してもらいました。
この台所で奥様が「かきまぜ」を作られたのだなあと感激した。
庄野さんはお酒が好きだったそうです。日替わりで飲む銘柄が違い、その順番をきっちり守られたそうです。日本酒は「初孫」を愛飲。
やはり一番の興味は書斎。本棚を見ればお人柄がわかります。
机にある文具小物に惹かれます。ステッドラー3Bの鉛筆や万年筆を見るのがうれしい。
使い切って短くなったステッドラーの鉛筆。奥様が捨てずにとっておかれたのだなあ。
毎年夏には太海に泳ぎにいかれたと小説に書かれていた。太海駅前の食堂でカツ丼を食べて家に帰ったとか。
この駕籠に詰めた牛脂を鳥がつつきに来たのですね。
ムラサキシキブの実がなっていました。
小説にも出てくる「英二おじさんのバラ」
記念にと買った『せきれい』。ステッドラーの鉛筆はお家に置いてあり、一本お持ち帰り下さいと言ってくださったもの。