佐々陽太朗の日記

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『雪国』(川端康成・著/新潮文庫)

『雪国』(川端康成・著/新潮文庫)を読みました。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

ほんとうに人を好きになれるのは、もう女だけなんですから。

雪に埋もれた温泉町で、芸者駒子と出会った島村――ひとりの男の透徹した意識に映し出される女の美しさを、抒情豊かに描く名作。

親譲りの財産で、きままな生活を送る島村は、雪深い温泉町で芸者駒子と出会う。許婚者の療養費を作るため芸者になったという、駒子の一途な生き方に惹かれながらも、島村はゆきずりの愛以上のつながりを持とうとしない――。冷たいほどにすんだ島村の心の鏡に映される駒子の烈しい情熱を、哀しくも美しく描く。ノーベル賞作家の美質が、完全な開花を見せた不朽の名作。

 

雪国 (新潮文庫)

雪国 (新潮文庫)

  • 作者:川端 康成
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/05
  • メディア: ペーパーバック
 

 

 

 まず有名な次の書き出しについて。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」 国境を「こっきょう」と読むか、「くにざかい」と読むか、これは問題である。私はどちらかといえば「くにざかい」と読む方がしっくりくるのだが如何か。まあ意見の分かれるところだろう。私が注目するのはむしろそのあとに続く「夜の底が白くなった」という部分である。これは普通の人間には書けない。凄いとしか言いようのない表現だと思う。この書き出しだけでこの小説は名作と成り得たとさえ思える。

 主人公の島村が私から見ればいけ好かないヤツです。しかし川端の文章が美しく抒情的で、物語がゲスに流れずに済んでいる。島村は、田舎芸者の駒子との関係が終わりに近いことを感じながら、その潮時をはかりつつ別れかねて逗留を続けている。駒子とのことに正面から向き合おうとせず、結局どちらにも踏み出さないずるさと非情さを持つ。それに対し駒子は純粋である。島村との関係において駆け引きや計算高さなどみじんもないのである。純粋といえばもう一人の女、葉子もそうである。島村と駒子、葉子の対比によって雪国とそこに棲む人の美しさが際立つ。その美しさは島村が決して到達し得ない美しさである。いや島村とすれば、疾うの昔に失ってしまったものなのであろう。

 作中に縮織りの美しさを表現した文章がある。ほう、と感心したので忘れないよう記しておく。

雪のなかで糸をつくり、雪のなかで織り、雪の水に洗い、雪の上に晒す。績(う)み始めてから織り終わるまで、すべては雪の中であった。雪ありて縮(ちぢみ)あり、雪は縮の親というべしと、昔の人も本に書いている。