佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『ハートブレイク・カフェ』(ビリー・レッツ:著/松本剛史:訳/文春文庫)

『ハートブレイク・カフェ』(ビリー・レッツ:著/松本剛史:訳/文春文庫)を読みました。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

 傷ついた心を抱えながら、毎日を精一杯生きている──ここはそんな人たちが集まるカフェ。
「ホンク&ホラー近日開店」。開店12周年なのにおかしな名を持つこのカフェには、傷ついた心を隠して毎日を精一杯生きている人たちが集まってくる。開店以来、車椅子を店の外に出したことのないオーナーもそのひとりだ。そこに今度はなんだか訳ありの女とヴェトナム人の男がやってきて―読めば必ず元気になれる癒し小説の傑作。
 

 

 

  一冊の本を読み終えて「次に何を読もうか」と考える時間が好きである。同じ作家を追いかけるか、テイストの似た本を選ぶか、ジャンルで選ぶか、作中に出て来た本を読むこともある。大概はさほど考えることなく、買い置きの積読本を並べた書棚を見渡し直感で選ぶことになる。本作は「カフェ」という言葉がタイトルにあることから選んだ。先週読んだ『虹の岬の喫茶店』(森沢明夫:著/幻冬舎文庫)の流れである。

 読み始めてちょっとした偶然に驚いた。『虹の岬の喫茶店』にも事故で足を一本なくした犬が登場したが、本作にもそうした犬が登場したのだ。そんなとき「私はこの本を読む運命にあったのかな」などと埒も無いことを考えてしまう。別に運命を信じているわけでもないのだが。

 さて、中身の話に移ろう。まずは主な登場人物から。ヴェトナム戦争から下半身不随で帰ってきてカフェの主人をしているケイニー。夫に先立たれ、一人娘が家出してしまって一人暮らしのモリー・O。彼女はこのカフェで働いている。そんなカフェにある年のクリスマス・イブにインディアンの娘ヴィーナが訪れる。彼女は放浪の旅の途中だが、足に大けがをした犬を抱えており、このカフェのカーホップとして勝手に(?)働き始める。さらにたまたまカフェにたくさんの客がありてんやわんやの忙しさの中、アメリカに移住してきたばかりで全く英語を話せないヴェトナム人ブーイが半ば強引に厨房で働き始める。その店に来る客もそれぞれに様々な事情を抱えている。ヴィーナとブーイが働き始めてから、片田舎にある十年一日のごとく寂れたカフェであった”ホンク&ホラー近日開店”に少しずつ変化が現れ始める。

 活気がなく、客も毎日ほとんど顔ぶれが変わらない、その客が来る時間も注文するメニューもほぼ同じ、それはそのカフェをかたち作る秩序だ。ケイニーもモリー・Oも、このカフェに集う客たちも皆が現状に決して満足しているわけではない。しかし満足できないからと言って、それを変えようともしない。人生は思うようにはいかないことを骨身にしみて知っているから。そしてそれを変えようとして出来なかったとき心が傷つくことを知っているからだ。傷つくのは嫌だ。あきらめというかたちの安住の方が良い。そういうことだろう。

 店の者と客たちのそんな秩序の中にヴィーナとブーイが紛れ込むことによって店の中にさざ波が立つ。まるで鏡のように静だった水面に小石が投げ込まれたように。その波紋は最初は小さなものだったが、やがて周囲に広がっていく。そんな心の変化が見事に描かれたのがこの物語だ。

 人生にはその時その時に様々な選択肢がある。そしてその選択の先にさらに様々な選択肢があり、さらに選択の先に選択肢が・・・、そんなふうにひとつの選択を繰り返した結果が現在である。歳を積み重ねた者の人生はその結果だ。年かさの者はその経験から若者にこうした方が良い、こうすべきだと忠告する。若者の危うい選択を叱責もする。しかし若者はそうした年かさの者の言うことを聞かない。年かさの者の今がその者の選択の結果なら、そんなクソみたいな人生を歩む気になれないからだ。自分にはもっと刺激的で栄光に満ちた人生があるかもしれないと考えるのも無理からぬことだ。

 しかし人生はそう甘くもない。自分の才能を信じ、夢を持ち選んだ道が迷路のようになったり、どんどん先細って行き止まりになることもある。そうして人はいつしかそんなはずじゃなかった人生を歩んでしまっている。

 それでも人は生きていかなければならない。悩み、苦しみ、悲しみながらも、たとえささやかでも何らかの願いを持って生きていくのだ。時にはそんなささやかな願いさえも打ち砕こうとする邪な輩が現れる。人のことなどどうでも良い、自分の欲望しか頭にないクズどもだ。幸せとは何だろうか。人が嘆き悲しむ姿をせせら笑って、自分の欲望を満たせは幸せは手に入るのだろうか。また不幸とは何だろうか。そうありたいと願ったことがそのとおり叶わなければ不幸なのだろうか。すべてが思いどおりになる人などいない。ではこの世に幸せな人は一人もいないのだろうか。幸せのかたちはひとつではない。幸せの感じ方、感じるときは人それぞれだ。私はクリスチャンではないが「人はパンのみにて生くるにあらず」だ。どんなに生活が窮乏していても、孤独であっても、障碍を得ても、人は心の中にそうあって欲しい未来を描くことが出来る。それは自分の未来じゃなく、子どもや大切に思う周りの人のものかもしれない。その未来に一筋の光と温もりを見いだすことが出来たならば、人はそれを生きる糧とすることができる。よく人生は航海に例えられる。逆境にあっても一筋の光と温もりを求めてひたむきに生きていれば、船はいつか行き着くところに行く。人生は捨てたもんじゃない。

 ビリー・レッツの小説を読むのはこれが初めてである。”ビリー”というから男性かと思っていたが、女性であった。50歳を超えてから小説を書いた遅咲きの作家らしい。彼女の処女作『ビート・オブ・ハート』も文春文庫から発刊されている。訳者も同じ松本剛史氏である。近いうちに読んでみようと思う。いやそれより前に松本剛史氏の訳した小説が本棚にあるではないか。『ウォッチャーズ』(ディーン・R・クーンツ:著/文春文庫)である。読みたいと思って買い置いてからもう永くなる。クーンツをしばらく読んでいない。『ライトニング』を読んだのは2年前。こちらを先に読むべきか。ちょっと迷うが、こうして迷うのがまた楽しい。ほとんど病気である。