佐々陽太朗の日記

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『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』(中村仁一:著/幻冬舎新書)

2021/02/21

『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』(中村仁一:著/幻冬舎新書)を読みました。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

3人に1人はがんで死ぬといわれているが、医者の手にかからずに死ねる人はごくわずか。中でもがんは治療をしなければ痛まないのに医者や家族に治療を勧められ、拷問のような苦しみを味わった挙句、やっと息を引きとれる人が大半だ。現役医師である著者の持論は、「死ぬのはがんに限る」。実際に最後まで点滴注射も酸素吸入もいっさいしない数百例の「自然死」を見届けてきた。なぜ子孫を残す役目を終えたら、「がん死」がお勧めなのか。自分の死に時を自分で決めることを提案した、画期的な書。

 

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

  • 作者:中村 仁一
  • 発売日: 2012/01/30
  • メディア: 新書
 

 

 十日前に『新版 どうせ死ぬなら「がん」がいい』(中村仁一・近藤誠:著/宝島社新書)を読んだことをアップした時、たくさんの医療従事者その他からお叱りに近い忠告を受けた。そんな本に騙されるな、惑わされるなと。私には医療従事者の知り合いが多くいます。皆、頭が良く品格がある紳士淑女である。そして私が道を踏み外さぬようにと気遣ってくれる。ありがたいことです。忠告は素直に受け取っております。もともと自らを戒めてはいたが、ある主張を疑うことなく全面的に盲信してはならないということを改めて肝に銘じた次第。ならば、忠告に従って『新版 どうせ死ぬなら「がん」がいい』に書いてあったことを自分の頭の中からすべて締め出したかと言えばさにあらず。たとえ善良な友人からの真摯な忠告であっても、全面的に盲信してはならないという戒めは変わりありません。申し訳ないことですが。

 ある考え、たとえそれが知者や権威者によってオーソライズされたものであっても、盲信することがいかに悲惨な事態を引き起こすかは過去の歴史が物語っている。その最も象徴的な例が宗教だろう。宗教には教祖が記し語ったとされる聖典があり、それは疑いを差し挟む余地無く絶対的に正しいとされる。入信することは、それを全面的に受け入れることであり、それが敬虔な信者の模範的態度というものだ。過去「宗教戦争」と呼ばれたものはもとより、その他の戦争の多くに宗教の違いがかかわっている。宗教が戦争の原因になるかどうかは議論のあるところだろうが、実に多くのケースにその影響があるのは事実だろう。宗教が原因という言い方に問題があるなら、それを主義とか正義という言葉に言い換えても良い。いずれにせよ、人が絶対的に正しいと信じるもの、それが間違いと悲劇を引き起こす。正しいと信じられているからこそ厄介なのだ。

 話が大きくなりすぎました。なにも戦争にまで話を拡げる必要はあるまい。例えばがんの治療に関して正反対の意見(あるいはそれらの中間にある様々な意見)があるとき、私はそれぞれ違った意見の言わんとするところを知った上で、自分でどちらの意見を採用するかを決めたいと思っている。もちろんその意見の信用度を測るのに、その方の社会的評判や世間一般の動向も考慮する。有り体に言えば、どちらの意見が正しいのか判断がつかない時、より多くの人の支持を得ている方が正しいのではないかと考えることも充分あり得るということです。ただ、世の中で定説となっているようなことも、一度はほんとうにそうなのか?と疑ってかかるプロセスを踏みたい。もうひとつ大切なことは美しく死にたいということ。いわゆる「ピンピンコロリ」を目指していますが、世の中そう都合良く思いどおりにはならないようです。病を得て不自由な生活を余儀なくされることもあるだろう。そうなったとき、自分の意志で食べ、不自由ながらも自分のしたいことができているかどうか。それが重要だと思っており、もしそれが出来なくなったら、その時が死に時だと。

 本書に二人の役者の死に様が紹介されている。お一人は入川保則氏、もうお一人は緒形拳氏です。癌を宣告された後の対応にお二人の死生観が端的に表れていると思います。入川氏は精密検査で直腸癌が見つかった時には既に全身に癌が転移していたとのことで、余命半年を宣告されます。入川氏は自分の死期を従容として受け入れ、手術や延命治療を一切拒否し限られた余命を自然のままに終える道を選ばれた。自分の葬儀の手続きも生前に済ませられたといいます。緒形氏は慢性肝炎を患い、それが後に肝硬変、さらに肝癌を併発してしまったそうです。しかしがんが発覚した後もそのことを周囲に口止めし、仕事をし続けたそうです。闘病生活は8年にもわたったけれども一度も長期入院しなかったといいます。つまり手術も抗がん剤治療も拒否されたということでしょう。肝硬変、肝癌に対する医療技術は日進月歩で、お二人の判断は今であれば変わった可能性があるかもしれません。私が重要視するのは、その時の状況でお二人が自分自身のギリギリの判断として抗がん剤や手術等の積極的治療をしないと決められたことです。美しく強い生き方だと感心します。

 本書に「人生の節目でいのちの有限性を思い、その日までの生き方の軌道修正をしよう」という言葉があります。奇しくも半年前、私が会社を辞めた時の心境です。出来ることなら美しく生きたいと思います。そして美しく死にたいとも。美しい死に様はその時までの生き様でもあります。決して命を粗末にはしませんが、覚悟を持って己の死に臨みたい。

 本書に記されていたわけではないが、生き様に関する先人の箴言を引いておきたい。

『生きるとは呼吸することではない。行動することだ。』(ルソー)

『自分自身に命令しない者は、いつになっても下僕にとどまる。』(ゲーテ

『賢者は、生きられるだけ生きるのではなく、生きなければいけないだけ生きる。』(モンテーニュ

 医学の進歩によって「生きられるだけ生きる」か「終止符を打つ」か、選択できるようになった。さて、どうするか。その時が来たら考えましょう。

 本書にはその題名をはじめ医療従事者の神経を逆なでするような言葉が踊っている。「医療が”穏やかな死”を邪魔している」「介護の”拷問”を受けないと、死なせてもらえない」「”できるだけ手を尽くす”は”できる限り苦しめる"」「”がん”で死ぬんじゃないよ、”がんの治療”で死ぬんだよ」など枚挙に遑がない。やや品格に欠ける言い回しだとも思います。本書は現在の大方の医療が正しいとしていることへの強烈なアンチテーゼです。その意味で自分の生き様と死に様を考えるきっかけになります。どうか友よ、怒らないでバカなヤツだと笑ってください。忠告歓迎。


バカな奴だとお思いでしょうが、バカな奴こそ美しい死に様を望むもんでございます。
どこに美しいものがございましょう。
たれもかも健康、長寿と、かしましい。
今の世の中、右も左も年寄りばかりじゃござんせんか。

何から何まで 真っ暗闇よ~ ♪

 

 

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