佐々陽太朗の日記

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『隣のずこずこ』(柿村将彦:著/新潮文庫)

2021/04/08

『隣のずこずこ』(柿村将彦:著/新潮文庫)を読みました。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

「村を壊します。あなたたちは丸呑みです。ごめんね」二足歩行の巨大な狸とともにやってきたあかりさんはそう告げた。村を焼き、村人を呑み込む“権三郎狸”の伝説は、古くからこの地に語り継がれている。あれはただの昔話ではなかったのか。中学3年生の住谷はじめは、戸惑いながらも抗おうとするが―。

恩田陸萩尾望都森見登美彦が絶賛した、日本ファンタジーノベル大賞2017受賞作!

隣のずこずこ(新潮文庫)

隣のずこずこ(新潮文庫)

 

 面白い。すっごく面白い。

 凄い。すっごく凄い。

 本の帯に森見登美彦氏、萩尾望都氏、恩田陸氏のコメントがある。それを読めばどれほど面白いか、どれほど凄いかが感じ取れるだろう。

森見登美彦

あれこれ深読みしなくても、本作はじゅうぶんに面白く、凄みのある小説である。しかし同時に、あれこれ考えたければ、いくらでも想像を広げられる小説でもある。 

萩尾望都

エピソードはすべて絵として立ち上がってきました。文章も気持ちよく、次回作も読んでみたいです。

恩田陸

時代の無意識が語り部としてこの作者を選んだに違いないとまで思った。

 

 ある町に「権三郎狸」という語り継がれてきた昔話がある。ある日、若く美しい女が村にやって来た。村人に溶け込みそこに住んだが、一ヶ月ほどで村を去った。女が村を去った後、一匹の狸が村に現れ、急に山ほども大きくなって、村人を一人ずつつまみ上げては口に投げ入れて呑み込んでいった。すべての村人を呑み込んでしまうと、狸は火を吐いて村を焼き尽くしてしまった。そんな話である。

 そんな町に本当に権三郎狸が現れた。昔話に聴いていたのとは少しちがうが、綺麗な女性の後にくっついて来た。「町に訪れた日にそこにいた人はすべて丸呑みです。村を壊します。ごめんね」って何と非合理で無意味なことか。そんな不条理を皆が受け入れるなんてどうなっているんだ。そんな荒唐無稽な小説があるはずがないと、このブログを読んだ人は思うだろう。そんなアホらしい小説が読めるかとも思うだろう。しかし、グイグイ読ませるのです。この小説は荒唐無稽な不条理を少しでも現実味をおびさせる何らの努力をすることもなく、物語の町民だけでなく、読者にも「そうか、一月後に狸に呑まれてしまうのか。町も焼き尽くされて無くなってしまうのか・・・そうなんだ・・・」と思わせてしまうのだ。そのあたりはただのいきおいかもしれない。彼のカフカだって、朝目覚めたら自分が巨大な毒虫になってしまっていたという小説を書いているではないか。毒虫に変身してしまった原因も経緯も必然性も、なにもかも説明されることなくそうなってしまったのだ。一夜にして自分のアイデンティティが変わってしまう(本作では消えて無くなってしまう)という事態に直面して、人はどう考えるのか、どう動くのか・・・そうか、この小説はカフカの不条理なのか。なんてことを考えそうにもなったが、作者がそんな意図を持って書いたかどうかは定かではない。むしろそんな哲学的な深遠さとは無縁の小説のような気がする。ただ、ここに描かれたアホらしい世界を愉しめば良いのかもしれない。読んでいて面白いのはそれだけで価値がある。意味などなくても良いではないか。「面白きことは良きことなり!」とは彼の森見登美彦氏が名作『有頂天家族』で下鴨矢三郎に謂わしめた言葉。ただ面白いだけで意味などない小説。それこそ不条理の本質を表している。「それもまたよし!」と言っておこう。

 余談だが、この小説の会話はベタベタの関西弁である。それがこのアホらしい物語にピッタリでもあり、コミカルな印象を与えている。けっこう酷いことが書いてあるにもかかわらず、悲壮感がなく、逆におかしみを感じるのは関西弁のパワーだろう。関西域以外の人には読みにくいかもしれないが、登場人物の会話がこの小説の味わいのひとつである。