佐々陽太朗の日記

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『君主論 新版』(マキアヴェリ:著/池田廉:訳/中公文庫)

2021/05/02

君主論 新版』(マキアヴェリ:著/池田廉:訳/中公文庫)を読みました。先日『よいこの君主論』(架神恭介+辰巳一世:著/ちくま文庫)を読んで、私の頭でも分かるかたちで予備知識を得て、理解の下地を作っている。そのうえで本書を読むという用意周到さ。まさに準備万端のかたちで本書に向き合ったのであります。強敵に立ち向かうに当たって、己の能力を過信することなくそれなりの事前準備をする。これこそ君主に求められる行動でありましょう。

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 本書を読んで分かったのは、本書が私が予想したように難解な書ではないこと。マキアヴェリの論旨は明快。そのような論旨に至った理由をマキアヴェリが生きた時代と過去の事例を引きながらつまびらかにしてくれる。さらに注釈が丁寧に施されており、歴史に疎い私にはありがたかった。五百年も前に書かれたものであっても今の時代に応用可能な絶対的教訓は、マキアヴェリがいかに透徹した洞察力に富んでいたかを物語る。

 特に感心した箇所を以下に引いておきたい。

 

時を待てば、何もかもがやってくる。良いことも悪いことも、いずれかまわず運んできてしまう。

              (第3章「混成型の君主国」より)

 

人は戦争を回避したさに、混乱をそのままもちこすべきではない。戦争は避けられないものであって、ぐずぐずしていればあなたの不利益をまねくだけだ。

              (第3章「混成型の君主国」より)

 

要するに、加害行為は、一気にやってしまわなくてはいけない。そうすることで、人にそれほど苦汁をなめさせなければ、それだけ人の憾みを買わずにすむ。これに引きかえ、恩恵は、よりよく人に味わってもらうように、小出しにやらなくてはならない。

    (第8章「悪らつな行為によって、君主の地位をつかんだ人びと」より)

 

人間というものは、危害を加えられると信じた人から恩恵を受けると、恩恵を与えてくれた人に、より以上の恩義を感じるものだ。

              (第9章「市民型の君主国」より)

 

人間というものは、その本性から、恩恵を受けても恩恵をほどこしても、やはり恩義を感じるものである。

   (第10章「さまざまの君主国の戦力を、どのように推しはかるか」より)

 

人が現実に生きているのと、人間がいかに生きるべきかというのとは、はなはだかけ離れている。だから、人間いかに生きるべきかを見て、現に人が生きている現実の姿を見逃す人間は、自立するどころか、破滅を思い知らされるのが落ちである。なぜなら、何事につけても良い行いをすると広言する人間は、よからぬ多数の人々の中にあって破滅せざるをえない。したがって、自分の身を守ろうとする君主は、よくない人間にもなれることを習い覚える必要がある。

   (第15章「人間、ことに世の君主の、毀誉褒貶はなにによるのか」より)

 

愛されるより恐れられるほうが、はるかに安全である。・・・・ 人間はもともと邪なものであるから、ただ恩義の絆で結ばれた愛情などは、自分の利害のからむ機会がやってくれば、たちまち断ち切ってしまう。ところが、恐れている人については、処刑の恐怖がつきまとうから、あなたは見放されることがない。

(第17章「冷酷さと憐れみぶかさ。恐れられるのと愛されるのと、さてどちらがよいか」より)

 

どこの国もいつも安全策ばかりとっていられるなどと思ってはいけない。いやむしろ、つねに危ない策でも選ばなければならないと、考えてほしい。物事の定めとして、一つの苦難を避ければ、あとはもうなんの苦難にも遭わずにすむなどと、とてもそうはいかない。思慮の深さとは、いろいろの難題の性質を察知すること、しかもいちばん害の少ないものを、上策として選ぶことをさす。

   (第21章「君主が衆望を集めるには、どのように振るまうべきか」より)

 

人は、慎重であるよりは、むしろ果断に進むほうがよい。なぜなら、運命は女神だから、彼女を征服しようとすれば、打ちのめし、突きとばす必要がある。

(第25章「運命は人間の行動にどれほどの力をもつか、運命に対してどう抵抗したらよいか」より)

 

「やむにやまれぬ人にとっての戦が正義であり、武力のほかに一切の望みが絶たれたとき、武力もまた神聖である」

(第26章「イタリアを手中におさめ、外敵からの解放を激励して」より_もとはリティウス『ローマ史』に記された言葉の引用)

 

君主論 - 新版 (中公文庫)

君主論 - 新版 (中公文庫)