2021/05/20
まずは出版社の紹介文を引きます。
動物にない人間だけの特性は前へ前へと発達すること。技術や頭脳は高度になることはあっても、元に戻ったり、退歩することはあり得ない。原発をやめてしまえば新たな核技術もその成果も何もなくなってしまう。吉本思想の到達点。
久々に吉本隆明氏の本を読みました。私が未だ20代前半であった頃、読んだきりかもしれない。1959年生まれの私にとって、氏は私の父親世代の、いわば一世代前の思想家であって、決して同時代で氏の言論に触れてきたわけではない。しかし、私の世代にあっても氏はやはり時代の寵児であって、私は氏の謂わんとするところを理解しようとちっぽけな脳みそで必死に読んでいた。そんな感じであった。
当時、私の持っていた氏へのイメージは左翼的なものであった。しかしちょうど私が氏の書かれたものを読み始めた頃(1980年代)に氏は当時の一大ムーブメントとなった「反核署名運動」に異を唱えていらっしゃった。もともと左翼的な氏の立ち位置ゆえ、保守層から嫌厭せられていらっしゃっただろうに、この『「反核」異論』といった主張に左翼からもずいぶん批判を受けただろうと思う。そのあたりのいきさつについて、私は基本的に小説読みであり、思想的なこと、論争などにさほど興味を持っていなかったので良くは知らない。しかし氏はチェルノブイリ原子力発電所事故の後に盛りあがった反原発運動に対しても”濛昧である”として批判的であったというから、ずいぶん敵は多かったに違いない。しかしだからこそ私には氏の姿勢がずいぶんカッコ良く映ったものだ。
東日本大震災が2011年3月11日。氏は2012年3月16日に逝かれたので本書のタイトルとなった「反原発」異論という主張は亡くなられる直前の考えであって、氏の思想の一つの到達点であるともいえるだろう。一方、世の中に「反核」「反原発」という考えを金科玉条として一片の疑いも差し挟むことなく盲目的に信奉する人がいかに多いことか。こうした旧態依然とした定型的な考え方に囚われることなく、言論人として世間から孤立してしまうことをも畏れず、おのれの考えを堂々と世間に公表してこられた氏に心からの敬意を表する。
本書に記されたような氏の言論に対して死者に鞭打つかのごとき言葉が多いことに心を痛めつつ。