佐々陽太朗の日記

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『その犬の歩むところ』(ボストン・テラン:著/田口俊樹:訳/文春文庫)

2021/07/02

『その犬の歩むところ』(ボストン・テラン:著/田口俊樹:訳/文春文庫)を読んだ。

 またまた犬ものである。5月に『少年と犬』(馳星周)、『ソウルメイト』(同)、6月に『幻想の犬たち』(『少年と犬』(ハーラン・エリスン)ほかアンソロジー)、『陽だまりの天使たち_ソウルメイトⅡ』(馳星周)、『雨降る森の犬』(同)と読んできた。「犬萌え」というか、今風に言うなら「犬推し」というべきか。

 まずは出版社の紹介文を引く。

ギヴ。それがその犬の名だ。彼は檻を食い破り、傷だらけで、たったひとり山道を歩いていた。彼はどこから来たのか。何を見てきたのか…。この世界の罪と悲しみに立ち向かった男たち女たちと、そこに静かに寄り添っていた気高い犬の物語。『音もなく少女は』『神は銃弾』の名匠が犬への愛をこめて描く唯一無二の長編小説。

 

 

 

 泣いた。人間の勝手で、人間の悪意で、何度も酷い目に遭い、時には命すら落としかけた犬が、その強さと善良さで信頼に足る人間との絆を強め、最も貴い自己犠牲の行為で奇蹟をおこした物語に泣いた。

「人と違って、犬は感じることしかしない。犬は当て推量や蓋然性にいつまでも拘泥しない」 人にはない犬の美質だ。その時、その時を精一杯生きている。我々人間はどうするべきか、どちらを選んだ方が得かと先を案じ悩んだうえで、何もしないでいたり、どちらかを選んで、その結果が思わしくなければ、あのときああすれば良かった、ああすれば今ごろは・・・などと過ぎ去ってしまったことに拘泥する。そうすることが事態を良い方向に変えるのならともかく、確定してしまった過去は変えようもないのに。

 犬は善意と愛を理解する生きものだ。どちらの感情についても犬においては純粋である。人は犬ほど完全に純粋な感情を持つだろうか? 純粋な愛とほぼ純粋な愛は完璧な和音とゴミみたいな音ほど違う。

 体中にあるおびただしい傷、これまでの辛酸にすり切れボロボロになりながらも、自尊心をまとったGivという名の犬に、あるべき姿を見た。生きていれば想像もしなかった不運に見舞われることがある。やり場のない理不尽に歯噛みすることも、信じられないほどの悪意に傷つき打ちのめされることもある。それでも誇りを失わず、気高く美しくあること。それは我々人間こそが会得すべき姿だろう。

 怒りを捨てて同情と寛恕に身を委せる。自分を痛めつけた相手に対して謙虚さを保つ。さらに痛めつけられるかもしれないと百も承知で、無慈悲な相手に慈悲を施す勇気は、自ら持てる善良さの最後の一滴まで振り絞らなければ得られない。

 どうしようもない悪党やクズのような人間がいる世の中。どこも同じだが特にアメリカにおいて、それは顕著に現れているように見える。そのクズのような輩の安寧をも祈るという行為、Givという名に込められたそうした行為は人には為し得ないもののように見える。それでも自分たちはそれをやる、それが出来ると臆面も無く言える、それがアメリカなのかもしれない。その能天気さこそがどうしようもない国アメリカの美質。”The Story of Dog and America” これはアメリカの物語だ。

 

 

 本書の中に洒落た会話があったので、記憶にとどめる意味で書き記しておく。

「本と時計のちがいがわかるかね?」

「いいえ」とアンナは言った。

「時計は時間を思い出させてくれて、本は時間を忘れさせてくれる」