佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『レインコートを着た犬』(吉田篤弘:著/中央公論社)

2021/07/05

『レインコートを着た犬』(吉田篤弘:著/中央公論社)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

小さな映画館“月舟シネマ”と、十字路に建つ“つむじ風食堂”を舞台に、「笑う犬」を目指すジャンゴと、彼を取り巻く人々による、雨と希望の物語。月舟町シリーズ三部作・完結編。

 

 

「月舟町シリーズ三部作」と呼ばれる作品群の3作目(完結編)である。

 第1作は『つむじ風食堂の夜』。これを読んだのは2009年11月のことであった。  

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 第2作は『それからはスープのことばかり考えて暮らした』。これは2010年2月に読んでいる。

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 そして本作である。本作が上梓されたのが2015年4月であったので、読むまでにずいぶん時間が経ってしまった。出版と同時ではないが2017年には買い置いて積読本として本棚に置いていた。私はそんな風に読みたい本を買っておいて、読みたいときに読むというスタイルを取っている。もちろんすぐにでも読みたいと買ってすぐに読む本も多いし、図書館で借りることもある。有り体に言うと本を購入する量に読むスピードが追いつかないのだ。そんなこんなで私の本棚は既読本も並んでいくが、積読本もどんどん増えているという現状にある。本を読み終え、次に何を読むかが決まっていないとき、積読本をざっと眺めて、ピンときた本を手に取る。本書を手に取ったのはこのところ「犬」を主人公にしたものを読んできたことと、本書の『レインコートを着た犬』という題名がここしばらくの天気にピッタリきたという理由だ。

 舞台となる月舟町という世界が良い。どこにでもありそうな町だが、現実にはありそうもない町、月舟町。もちろん架空の町だが一説によると世田谷区赤堤がモデルになっているとも聴く。真偽のほどは関西人の私にはなんとも判断しかねるところだが、ぼんやりとした幻想的な町として描かれている。ほのぼのしたゆるい町で、この町には普通の町にありそうなものがない。生活臭が感じられないのだ。町には十字路の角にある名も無い定食屋(通称「つむじ風食堂」)、デ・ニーロの親方の経営する古本屋、親方の奥さんが経営するおでん屋、おいしいサンドイッチ屋、店主がいつも店先で本を読んでいる果物屋、雨が降ると雨漏りする古い小さな映画館等々があり、いわゆる下町風情なのだが、不思議と生活臭がない。小さな映画館や古本屋にはお客さんが少ないし、「つむじ風食堂」は隣町に洒落たレストランが出来たせいかお客さんが減ってきている。要はそこに暮らす人びとにはそれなりの苦労と心配事があるわけで、のほほんとしているばかりではないのだが、どこかのんびりしていてせせこましくない。どこか他人事のような、遠くを見ているような風情なのだ。現実から逃げているのとはちょっとちがう。そうした問題が二の次で、いちばん大切なものは別にあるといった具合。たとえば、この物語にも恋とおぼしきシチュエーションがあるが、いまにも爆発しそうな情熱や身を焦がすような焦燥やら、人に対する嫉妬といった生々しい感情はない。相手と寄り添っていることだけで満足するような、相手をふんわりと包み込んでしまうようなありようなのだ。そんな世界に遊ぶ読書時間が心地よい。

 本書の主人公は「月舟シネマ」という小さな映画館に住む”ジャンゴ”とも、”アンゴ”とも、”ゴン”とも、ただの”犬”とも呼ばれる犬だ。その犬の視点で、月舟町の住民の日常を観たのがこの物語。ジャンゴにはもしも人間と同じように振る舞えたら行ってみたいところが三つある。一つは「銭湯」、二つ目は「図書館」、三つ目は「喫茶店」だ。人間であればありきたりであたりまえの場所だけれど、人にとっても本当にたいせつなところは案外そんなところなのかもしれない。ジャンゴは人間のように銭湯で汗を流し、図書館で調べ物をし、喫茶店でミルク珈琲をすすりたいと思うだけじゃなく「犬だって人のように笑いたい」と思っている。良いではないか。そして映画館でパン屋を営む初美さんに思いを寄せている。良いではないか。犬だって笑いたいし、恋もしたいだろう。

 もうすこしこの心地よい世界に浸りたい。月舟町ものには三部作の他にもう一つ「番外編」があるようだ。『つむじ風食堂と僕』次はこれを読んでみよう。