佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

映画『ファーゴ』(1996年アメリカ)

2021/08/17

 映画『ファーゴ』(1996年アメリカ)を観た。

 

 

 監督:ジョエル・コーエン、脚本:ジョエル・コーエンイーサン・コーエンという、つまりコーエン兄弟の作品。1996年のアカデミー賞では作品賞を含む7部門の候補となり、そのうち主演女優賞、脚本賞の2部門を受賞。カンヌ国際映画祭監督賞ほかの受賞も多数という評価の高い映画だ。と言っても私は映画に詳しいわけでもなく、こうした情報はネットで調べたものである。

 制作会社の映画紹介を引く。

無邪気な偽造誘拐から予期せぬ冷酷な殺人事件へ。
凶悪犯を追う妊婦の警察署長マージが見た衝撃の結末とは!?

<キャスト&スタッフ>
マージ…フランシス・マクドーマンド(塩田朋子)
カール…スティーヴ・ブシェーミ(小杉十郎太)
ジェリー…ウィリアム・H・メイシー(佐古正人)
ゲア…ピーター・ストーメア(荒川太郎)
ノーム…ジョン・キャロル・リンチ(土師孝也)

監督・脚本:ジョエル・コーエン
製作・脚本:イーサン・コーエン
撮影:ロジャー・ディーキンズ
音楽:カーター・バーウェル

<ストーリー>
ノース・ダコタ州ファーゴ。多額の借金を負い生活が破綻しそうな自動車セールスマンのジェリーはとんでもない解決方法を思いつく。前科者二人組のカールとゲアに妻を偽装誘拐させて自動車業界の大物である義父から身代金をだまし取ろうというのだ。しかし手際良く偽装誘拐など出来そうに見えない二人組は、案の定、警官と目撃者を撃ち殺して連続殺人事件に発展させてしまう。事件の解決に当たるのは、妊婦の女警察署長マージ。犯人の残した証拠を丹念に追及し、次第にジェリーに照準を合わせていく。果たして、事件はどういう決着を見るのだろうか?

 私はこの映画に特に注目していたわけではない。この映画を観ようと思ったきっかけは宮部みゆき氏がとある出版社のサイトのインタビューでこの映画に触れていらっしゃったからである。そのインタビューは「杉村三郎シリーズ」に関するもので、氏はそのシリーズを書くきっかけを二つあげ、一つは「マイクル・Z・リューインアルバート・サムスン・シリーズが大好きなので、こういうのんびりした人のいい私立探偵が主人公の物語を書きたいということでした」ということ、もう一つは「コーエン兄弟の『ファーゴ』(一九九六年公開)という映画がすごく好きで、フランシス・マクドーマンドが演じた田舎町の女性警察署長がとても印象に残っていました。・・・私生活は、いたって普通で幸せな人が、とんでもない犯罪に遭遇し、事件を解決する。私立探偵ものを書くなら、そういう普通の人で書きたいと考えていた」と仰っていたのだ。稀代のストーリーテラーがすごく好きな映画として挙げる映画ってどんなものだろう、きっとすごく面白いかさもなくばいろいろ考えさせる映画なのだろうと興味津々で観てみた。

 ここ最近、十日ほど前に観た映画2作が私にとって全く価値のないものに感じられたので、口直しになればと思っていたのだがたいへん良かった。ものすごく良かった。思っていた以上に良かった。口直しどころか、前に観た映画の不味さを消し去ってくれるどころか、味わい深くその余韻に浸れるほどのものであった。

 まず登場人物それぞれの個性が際立っている。いわゆるキャラが立っているというやつだ。まず妻の狂言誘拐を思いついたジェリーの頼りないダメ男ぶり。ウィリアム・H・メイシーがその情けない心もちを見事に演じている。続いて誘拐を請け負った前科者カール(スティーブ・ブシェミ)とゲア(ピーター・ストーメア)。変な顔カールと無口で凶悪だがすっとぼけたゲアのでこぼこコンビ。行き掛り上つぎつぎと人を殺すことになるのだが、そのドジッぷりがそこはかとなくユーモラスだ。ユーモラスといえば、極めつけはやはりブレーナード警察署の女署長マージ・ガンダーソン(フランシス・ルイーズ・マクドーマンド)だろう。臨月を迎える彼女が大きなお腹を抱えながらミネソタ訛りで捜査をしていく。市井でつましく、しかし幸せな生活を送る女が警察の署長を務めており、朴訥な彼女のしゃべる言葉は日本で言う東北のズーズー弁のようになまっている。彼女には夫との穏やかで幸せな家庭があり、とてもスーパーヒーローのようなめざましい活躍はありそうもない。そんな普通の者が凶悪な殺人事件の捜査にあたりこつこつと捜査を進めていく。奇妙と言えば奇妙なのだがそれこそが普通であたりまえのことであり、ダイバーシティの時代の象徴的存在なのではないか。彼女のすっとぼけた演技がそこはかとないおかしみを持っている。この映画が凶悪な犯罪を描いていながら喜劇として成立しているのも彼女の演技によるところが大きい。アカデミー主演女優賞もうなづける。

 フィクションとは言え画面に繰り広げられる悲惨な状況を笑うとはなにごとかというお叱りはあるかもしれない。特に日本においては。しかしあくまでフィクションとして一歩引いた視点で観て、「うわっ、ひでぇ! ありえねぇ~」と顔をゆがめながらもその状況を笑い飛ばす。そして、「それから、それから? いったいどうなるの?」と下世話な好奇心で物語の行く末をのぞき見気分で観ていく。そうした愉しみ方がこの映画の見方であり、それができるかどうかでこの映画の評価はハッキリと分かれるだろう。それは杉村三郎シリーズ(宮部みゆき)や葉村晶シリーズ(若竹七海)などに代表されるイヤミスの愉しみ方でもある。人の不幸は蜜の味。そんな不幸をフィクションの世界で一時的に生真面目さを捨て、あまりに深刻になりすぎないよう絶妙の塩梅で悲喜劇に仕立て上げたコーエン兄弟。なかなかの創作家だ。

 この映画の主要なテーマは因果応報「たとえちょっとした出来心であっても、一度悪事に手を染めてしまえば、それによる報いは必ずある」ということだろう。それもミステリのテーマとしてよくあるものであって、それゆえ宮部みゆき氏はこの映画を好きでいらっしゃるのではないかと考える次第。それが当たっているかどうかはいざ知らず、私はこの映画をたいそう気に入った。