佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『わたしの献立日記』(沢村貞子:著/中公文庫)

2021/12/04

『わたしの献立日記』(沢村貞子:著/中公文庫)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

さあ今日も、ささやかなおそうざいを一生懸命こしらえましょう―女優業がどんなに忙しいときも台所に立ちつづけた著者が、日々の食卓の参考にとつけはじめた献立日記。その行間からは一本芯の通った生活ぶりがうかんでくる。工夫と知恵、こだわりにあふれた料理用虎の巻。

 

 

 

 沢村さんの献立日記があることはTV番組で知っていたが、沢村さんを女優として認識しておりがエッセイを書き残していらっしゃることは知らなかった。迂闊であった。

 題名どおり沢村さんの日々の献立の紹介が半分以上、残りが沢村さんの食についてのエッセイである。レシピはない。

 エッセイをたいへん楽しく読んだ。まさに私ごのみ。平松洋子さんや森下典子さんのエッセイにも通じる面白さだ。と思っていたら解説は平松洋子さんが書いていらっしゃる。嬉しいかぎりである。嬉しいといえばカバーの絵が安野光雅さん。贅沢だなぁ。ただレシピがないのは残念であった。しかし、沢村さんご自身が日々の献立のみ記され、レシピを残していらっしゃらないのだからこれは仕方ないことと料簡しなければならない。沢村さんのレシピではないけれど飯島奈美さんが沢村さんの献立日記をもとにしたレシピを本にしていらっしゃるのでそちらを読むことにしたい。

 食欲というのは、ほんとにすさまじいもの、と我ながら呆れるけれど・・・・・・ちょっと、いじらしいところもあるような気がする。お金や権力の欲というのは、どこまでいってもかぎりがないけれど、食欲には”ほど”というものがある。人それぞれ、自分に適当な量さえとれば、それで満足するところがいい。おいしいものでおなかがふくれれば、結構、しあわせな気分になり、まわりの誰彼にやさしい言葉の一つもかけたくなるから――しおらしい。

 おいしいものとのめぐり逢いには運がある。ついていない人は、ほんのちょっとの手違いで折角のご馳走をたべそこなったりするのに、運のいい人は、いつでもチャンと、そういう席に坐っている。

 口運がいい、というのは、金運、女運などからきた俗語らしいが、耳ざわりのいい言葉は、口果報。 ・・・・・・・・・・・・

                          (P9 食と生活)

 

 献立に大切なのは、とり合わせではないかしら。今日は魚が食べたい、とか、肉にしよう――などと主役は早く決まっても、それを生かすのは、まわりの脇役である。

                          (P19 食と生活)

 

 ほんとに――ほかに道楽はない。住むところはこぎれいなら結構。着るものはこざっぱりしていれば、それで満足。貴金属に興味はないから指輪ははめないし、貯金通帳の0を数える趣味もない。いわば、ごく普通のつましい暮らしをしている。ただ――食物だけは、多少ぜいたくをさせてもらっている。

(中略)

 こちらはなにしろ庶民だから、あんまりぜいたくなものを食べたりすると、今日(こんにち)さまに申し訳なくて気がひける。そんなときに――まあいいでしょう、ダイヤの指輪一つ買ったと思えば――と自分に言いわけするのが癖になっている。

                        (P74 ぜいたく)

 御意。