佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『福運楼』で動けなくなるほどに

2021/12/30

 正月準備の買い出しに手間取り帰りが遅くなってしまったので、外で夕食を食べて帰ることにした。店は上大野の『福運楼』。年末の締めくくりとしてめでたい名ではないか。結構、結構。

 この店は私のお気に入りでしばしば訪れる。理由は三つ。ひとつ目はおいしいこと。しかし特別においしいわけではない。ふたつ目はボリューム満点であること。これはうれしいことではあるが、ウエイトを気にする私にとって諸刃の剣的悩ましさも内包している。三つ目。これが決め手であるのだが、このお店のお嬢さんが店の手伝いをしているのをよく見かけるのだ。ことわっておくが色ボケじじいがうら若き乙女をいやらしい目で見ているわけではけっして無い。敢えて言うなら、前途のある子どもを好々爺の慈しみの目で見ていると言わせていただきたい。今時、小中学生の子どもが家業を手伝っている姿を見るのはまれである。しかしこのお店ではその姿をしばしば見かけるのである。もちろん学校に通っているだろうから、見かけるのは休校日など学校のない時間帯に限られるように思うが、その姿を見るとなんともうれしくなるのだ。私も子どもの頃はよく家業を手伝ったものだ。子どもの頃の家は養鶏をやっていた。夏休みや冬休みともなるとたくさんの鶏が産んだ卵の採卵と洗浄、箱詰めを手伝わされたものだ。「手伝わされた」と書いたが、私も親も子どもが家業を手伝うのは当然のことと思っていた。もちろん手伝いをすることが嫌でなかったとまでは言わない。友達が遊びに誘いに来たときなど、「後で」と言うのはやはり辛かったし、家の手伝いをしなくてよい友達が羨ましくもあった。それでもそれはしなければならないミッションであったように思う。家族が助け合って生きていくのはあたりまえことであったし、何よりも両親は遊んでいる暇などなく働きづめであったのだから。『福運楼』がそうだとは言わない。しかし両親が飲食店を営んでおり、子どもが手伝えることは手伝うという姿は一昔前の家族のあり方を思い起こさせる。そのことが私の足を『福運楼』に向かわせるのだ。

 この店の料理がボリューム満点であることはわかっていたが、つれ合いと私それぞれが二品ずつ注文することにした。つれ合いは「酢豚」と「おこげのあんかけ」、私は「石鍋麻婆豆腐」と「ニンニク炒飯」を注文。つれ合いが帰りのハンドルを握ってくれるというので私は瓶ビールの大を注文。麒麟の瓶ラガーを飲むのは久しぶりである。やはりうまい。「酢豚」、「おこげのあんかけ」、「石鍋麻婆豆腐」、「ニンニク炒飯」の順で適度の間合いを置いて供された料理を二人でシェアして食べていく。どれもおいしく、我々は「おいしいね」と言いながら次々と口に運んでいったが、齢60歳を超えた二人にこのボリュームは大きな壁として立ちはだかった。しかし、おいしいので無理をしてでも食べる。無理も限界にきたと感じてもせっかく感心なお嬢さんが運んでくれた料理である。ゆめゆめ残すようなことなどできはしない。うんうん苦しみながらなんとか食べきった。すぐにも横になりたい気分だったが、なんとか立ちあがり、何食わぬ顔で支払いを済ませ店を後にした。

「福運」。ありがたや。これで来年も我々は恙無く幸せに暮らせるであろう。いつまでもおいしいものを好きなだけ食える幸せを授かりますように。

 

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