佐々陽太朗の日記

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『平場の月』(朝倉かすみ:著/光文社文庫)

2022/02/05

『平場の月』(朝倉かすみ:著/光文社文庫)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

須藤が死んだと聞かされたのは、小学校中学校と同窓の安西からだ。須藤と同じパート先だったウミちゃんから聞いたのだという。青砥は離婚して戻った地元で、再会したときのことを思い出す。検査で行った病院の売店に彼女はいた。中学時代、「太い」感じのする女子だった。五十年生き、二人は再会し、これからの人生にお互いが存在することを感じていた。
第32回山本周五郎賞受賞の大人のリアルな恋愛小説!

 

 

 

 本屋で見かけたとき、買いもとめるかどうか些か迷った。本の帯に「これが大人のリアルな恋愛小説。映画化決定!」との文字がおどっていたのだ。62歳にもなった私がいまさら恋愛小説かよという気持ちがある。「映画化」というのも「この小説が世間をざわつかせているのだ」というプラスの受け止め方はするものの、「お涙頂戴の安っぽいものではないか」という警戒心も持たせる。あるいは「深刻ぶった問題作」なんてのはもっとイヤだ。それでもやはり読んでみるかと本を手に取らせたのは、本作が第32回山本周五郎賞受賞作だということと中江有里氏が「解説」を担当なさっているからである。私は山本周五郎賞の選考委員の方も中江有里氏も信用している。特に中江氏を。

 前置きが長くなってしまった。読んだ感想である。良かった。予想以上に良かった。この物語にのめり込んだ。胸がざわざわした。50歳という主人公たち二人の年齢がそうさせるのか、あるいは朝倉かすみ氏の筆はこびがそうさせるのか判らないが、ともかく嵌まったのである。特に二人が交わす会話が刺さる。刺さったあと、体がそれを取込んでしまい、二人の気分を、二人を包む空気を共有してしまう感がある。

(以下、ネタバレ注意)

 本の帯にもある「大人の恋愛」という言葉に、「恋愛に大人も子どもも若者もあるかっ!」と若干の反発を覚えつつ読んだ。相手に惹かれるがあまり滑稽なほど自分を見失ってしまうかっこ悪い状態が恋愛だろう。前後をわきまえた理性を「大人」と表現するなら、恋愛はとっくにそんなもの吹っ飛んでいるはずではないか、と思ってしまうのだ。ところがどうだ。読んでいくうち「あぁ、こういうのを”大人の恋愛”と表現したのだな」ということが良く判った。

 人間50年も生きればそれなりに汚れる。過去に負った数々の傷も痛みこそ感じなくなってはいても、抉れや変色のあとかたが隠しきれない。ひと言で云えばくたびれているのだ。あるいはくすんでいるといったほうがぴったりかもしれない。そんな二人が冴えない自分を自覚しつつ恐る恐る近づいてゆき、微妙な距離を取りながら寄り添う。まるでぴったり寄り添うことで、癒えかけた傷口が再びひらいてしまうかのように。汚れてしまった自分への羞恥とそれによるためらい。それでも抑えきれない思いに恐る恐る半歩だけ近づくような恋愛。切ないなぁ。思いっきり切ない。

 やっぱり人を愛するということは、それによって何かを得るといった損得めいたものではなく、その人のために何かしたい、せずにはいられないといった心もちのことなのだと改めて知った。そして、その人のために何かをしないという選択もまたあり得るのだということも。

 病魔に抗いきれず失意のうちに逝ったであろう須藤が、それでも青砥とのことを、そう、初恋も含めた青砥とのことを心の奥底に大切にしまって旅立ったと信じる。おそらくどうしようもない悔しさに幾度も身悶えたに違いない。しかしそれでも死を覚悟したとき、心の奥底が何かしら温かいもので満たされていたと信じたい。