佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『ぼくがいま、死について思うこと』(椎名誠:著/新潮文庫)

2022/04/10

『ぼくがいま、死について思うこと』(椎名誠:著/新潮文庫)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

「自分の死について、真剣に考えたことがないでしょう」67歳で主治医に指摘された。図星だった。うつや不眠を患いながらも、死は、どこか遠い存在だった。そろそろ、いつか来る“そのとき”を思い描いてみようか―。シーナ、ついに“死”を探究する!夢で予知した母の他界、世界中で見た異文化の葬送、親しい仕事仲間との別れ。幾多の死を辿り、考えた、自身の“理想の最期”とは。

 

 椎名氏と言えば軽妙なエッセイ。私が一番好きなものも”昭和軽薄体”とも言われる自由奔放で愉快なエッセイだ。しかし、本書での椎名氏は慎みがある。当然のことだ。人の「死」について書かれたものなのだから。

「死」について書かれたものはとかく説教くさい。遅かれ早かれ人が直面する最も深刻かつ決定的なイベントなのだからそれも当然のことだ。著者がその境地に達するまでの人生経験、哲学的探究と思索を踏まえると「洒落くせえ」と片づけてしまうこともはばかられる。しかしどうだ、椎名氏は説教くさいことはほとんど書かない。人として死に遭遇したときの感覚、それはやはり厳粛な畏れのような感覚であるけれど、それをベースに素直に書いてあると思う。だからこそ書かれたことがすぅっと心に馴染む。

 先日、野田知佑氏が逝った。3月27日の事である。椎名氏と野田氏の親交は厚く、写真家の中村征夫氏、佐藤秀明氏らとともに「いやはや隊」(第二次あやしい探検隊)を結成し、各地でテント宿泊し、焚火宴会をした盟友であり、カヌーの師でもあった。本書にも野田氏とのエピソードが2つ書かれている。もちろん本書が書かれたのが2012年頃だから、そのころ野田氏もお元気だったのだが。

 親しくしていた人の死、たとえば若かった頃の登山家の友人、写真家の岡田孝夫氏、高橋昇氏の逝去、そんなとき椎名氏は酒場で一人献杯をしたという。野田氏の逝去に対してもやはり献杯をしたのだろうか。

 私も59歳、そして61歳の時に学生時代の友人を亡くした。大学時代に同じ下宿で酒を飲み、麻雀に興じた仲間である。まだ逝くには早すぎた。そんな友の心のうちはどんなだったろう、これからやりたかったのに出来なかったことはどんなことだったのだろうと思いを巡らせながら酒を飲んだことを思い出す。

 斎場と葬儀産業の胡散臭さ。チベットの鳥葬、モンゴルの風葬、ネパール、インドの水槽など世界の葬儀事情。向こう見ずな行動で何度か死にかかった話。作家に転向後、鬱になり自死しかかった話。これまでシーナさんのエッセイを読んできて、知っていた話、知らなかった話、いろいろ取り混ぜてなんだかんだいっていつの間にやらシーナさんの世界に引き込まれている。

「どのような死に方を望むか」について、書かれた章がある。野田知佑氏は「そりゃあハリツケで死にたいよ」と仰ったらしい。ハリツケとは激流でカヌーが転覆し、激しい滝のような流れによって全身を岩に押しつけられ、激しい水流を見ながら身動きが取れなくなることだという。野田氏のその想いは叶わなかった。それでもステキな想いではないか。シーナさんは「いつものように海べりで潮風に吹かれながら焚き火にあたり、最後の極冷えビールを飲みつつぼんやり死にたい」だそうだ。わかる。そして「往生際悪く、そこでは死ねなくても病院での延命措置は拒絶」 これにも私は激しく同意する。

 ちょっとしたエピソードだが、日本の墓について書かれた部分で印象に残った一節があるので、それを引いておきたい。

 知り合いで中央アジアに生まれ、アメリカの先住民のもとで育った女性からこんな話を聞いたことがある。・・・・・・

「日本人は墓参りのときに墓のまわりに生えた雑草をみんな抜いてしまい、かわりに切り花を供えますね。自分らの先祖が埋葬されている墓から生まれてきた植物の新しい”命”を無造作に抜き取り、切り花という、つまりは”殺して”しまった花を供えるのは、意識としておかしいのではありませんか。わたしは逆であってほしいと考えます」

 私は自分のことを日本人らしい人間だと思っている。しかし不思議なことだが、この女性の言葉と同じことを思っていた。私が墓参りのとき、墓の横に生えた草をひかないのは無精だからではない。玉砂利の隙間を縫って生えてきた草がけなげに思え、さっさとひいてしまうに忍びないのだ。かといって、草ぼうぼうの墓になっても困る。結局、つれ合いがせっせと草引きをしている傍らで、ぼうっと立っているのである。