佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『きみはだれかのどうでもいい人』(伊藤朱里:著/小学館)

2022/08/08

『きみはだれかのどうでもいい人』(伊藤朱里:著/小学館)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

県税事務所に勤める、年齢も立場も異なる女性たち。見ている景色は同じようで、まったく違っている―そこにあるのは、絶望か、希望か。太宰治賞作家渾身の新感覚同僚小説!

デビュー作『名前も呼べない』が大きな話題を読んだ太宰治賞作家が、自らの働く経験をもとに描く勝負作。

 

 

 

 公務員の職場、具体的には県税事務所が舞台となった小説。登場人物は当然のことながら公務員。作者・伊藤朱里氏はわざわざ小説の舞台をここに選んだわけだが、考えてみればそれは奇異なことのような気がする。というのは小説として上梓し、作者として伝えたいことを広く世間に問うからには、読者が登場人物に如何に共感するかということを考えざるを得ないが、主要な登場人物が公務員というのは共感を得づらいだろうと思うからである。これが公務員だけに読まれることを想定したのなら話は別だが、広く一般に読まれるには魅力が乏しい。何故か。公務員は仕事上の地位が保障されており、役人としてある意味権力を行使する側にある。しかし同時に税金で食わせてもらっているという市民におもねる立場でもある。生活の面では絶対的な安定があり勝ち組かもしれないが、外向きに胸を張りにくい。ヒーロー、ヒロインになりにくいのだ。(あくまで私の偏向的見解です。公務員の方には不快に感ぜられるでしょうがお許しください。)

 本書を読んでみて、それこそが伊藤氏の狙いであったのかと腑に落ちた。強い(公権力)んだか弱い(公僕)んだか中途半端な立ち位置の仕事、突っ走ることは許されず、真っ当であることを求められ、悪者になることが許されないストレスフルな職場で働く四人の女性の目線でこの物語は書かれている。

 一人目は主席で入庁した有能な若手職員中沢環。入庁後の配属は出世コースとみなされる人事であったが、県税事務所の徴収担当に配属された同期の休職の穴埋め後任として急遽異動させられてきた。二人目は中沢環の異動のきっかけとなった同期の染川裕未。税の督促の仕事に馴染めずノイローゼ気味で病気休職し、その後同じ事務所内の総務担当に異動している。三人目はパート職員の田邊陽子。若い頃、正規職員として納税事務所に勤務した経験があり、出産育児で退職したがふたたび復帰。パートとは言え職場での在籍がだれよりも長い最古参職員である。気楽な立場から休憩室での井戸端会議の中心でもある。四人目はお局様と揶揄される総務主任の堀さん。一章ごとにこの四人それぞれの視点で物語が進んでいくわけだが、その四人のほかに重要人物として須藤深雪というアルバイトがいる。須藤はなにか心身症のような病気で社会経験が少ないが、そうした人の社会復帰プログラムで採用されたという設定。そんな子だから、おどおどしていて電話を怖がる、仕事に自信がなく自分の判断でテキパキ仕事を片づけることなどとても期待できない。ドジで気が利かなくて簡単な仕事すら満足に仕上げられない。当然、職場では彼女がドジでのろまな分、他の者に負荷がかかり、ストレスの原因になっている。ただでさえストレスフルな職場で須藤深雪の存在が新たなストレスを生み出しているのだ。

 細かなところに気づき、デリケートに気を回す女性ならではのコミュニケーション能力の高さがかえって禍し、皆のストレスは熱くドロドロとマグマのように溜まってしまう。それぞれ四人の視点で彼女たちの心の中にうずまく呪詛が生々しい。

 読み手はそんな状況にうんざりしながらも読むのを止められない。放っておき、曖昧にしておけば良いのに、それが出来ず突き詰めてしまう濃密な人間関係に息苦しさを感じながら、主人公たちの心の動きに同調してしまう。

 読後感はけっしてよくありません。しかしたとえフィクションであっても身につまされることが多く、一気に読んでしまう小説でした。読みながら最近、たまたま読んだ平野啓一郎氏の「分人」という概念を頭に思いうかべた。状況により、相手により、いろんな自分に変われる「分人」という考え方が救いになりはしないだろうかと思ったのだ。つまり自分はこうあらねばならぬ、こうあるべきだと突き詰めてしまわず、ある意味いい加減に複数の人格に足場を置くことで、あるいは袋小路から抜け出すことが出来はしないかと考えたのだが、はたしてどうだろう。