佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『エッセイベストセレクション やりにくい女房』(田辺聖子:著/文春文庫)

2022/08/10

『エッセイベストセレクション やりにくい女房』(田辺聖子:著/文春文庫)を読んだ。先日、林真理子氏のエッセイを読んで、ふと田辺聖子氏のエッセイを読んでみたくなったのだ。ずいぶん前に酒吞み友だちからいただいて本棚に置いたままだったのが本書である。読書には不思議な流れがある。そのうち読もうと本棚に並べ置いた本が数百冊ある。一つの本を読み終え、さて次は何を読もうかと本棚をながめると、ああ、次はこれだなと自然と手が伸びることがよくある。今回は林真理子氏が敬愛し親交深い女流作家という流れで本書を手に取ったのだが、考えてみれば、今日手に取られるのがベストのタイミングだったような気がするから不思議だ。

 出版社の紹介文を引く。

「昔の女房というものは、いつでも男のいうたときに寝てくれとった」「といいますと」「男とオナゴはいつもいがみ合い、ケンカしてる方がええのです」「どうしてですか」カモカのおっちゃんとおせいさんが今宵も酒を片手に語り合う、旦那と女房のオツな関係、ブスと美人の人生収支。傑作エッセイ集第2弾! 解説・土屋賢二

 

 

 うまいなぁ。味があります。林真理子氏には申し訳ないが、エッセイの質、味わいにおいて、断然、田辺聖子氏に軍配があがる。けっして林氏がヘタなのではない。田辺氏のそれが別次元ともいえるにおもしろさなのだ。

 おもしろさの要素としてカモカのおっちゃんの存在が大きい。おっちゃんとおせいさんの掛け合い漫才のような語りは、関西文化の粋とも言える。乙な肴で酒を吞みながらの雑談。時にそれはじゃれ合いであり、ある時は男と女の舌戦でもある。意見の違いにもけっして険悪になることなく軽く受け流すあたり、大人の男女、それも深く繋がっている二人の情調がほほえましい。言葉にせずともお互いを思いやりリスペクトしていることがにじみ出ている。

 もうひとつの味わいは、このエッセイが書かれた時期という背景もあるのだろうが、男女の間がギクシャクしていないこと。昨今「男」と「女」と言えば、やれジェンダーレスとやら、やれジェンダーフリーとやら、かまびすしいこと夥しい。しかしおせいさんとカモカのおっちゃんの間で、そんな小難しいことはない。かといって性差による不平等を容認しているわけではない。ある意味、「男」と「女」は違うものだという諦念が根底にあり、だからといって対立せず、お互いを立て合うという高度な精神世界があるように思う。ひと言で云えば大人の対応だ。そこには「男」と「女」が睦まじく生きていく知恵がある。こう言うと誤解されそうだが、昨今のジェンダーにまつわる小難しさ、不寛容は私には至極幼稚に見えるのだ。私はおせいさんに惚れた。

 本書の副題となった「やりにくい女房」と題された一編からカモカのおっちゃんとおせいさんのやりとりを引く。

モカ「子供ばかりか、今日びは女房(よめはん)連もやりにくうなりましてなあ」

おせいさん「どうやりにくいのですか」

モカ「昔の女房(よめはん)いうもんは、情があった。いつでも男のいうたときに寝てくれとった」

おせいさん「と、いいますと」

モカ「男いうもんはなぜかアマノジャクなもんでして、女房が一生けんめい働いていると、えてしてその気になるのです」

おせいさん「ハハア」

モカ「おせいさんは別でっせ。締切り前に鉢巻しめてがんばってたとて、物書いてるちゅうような色けない仕事は、女の仕事とはいえん。家庭の主婦が、ですな。明日の入学式に着ていこう、てんで、必死にミシン踏んでる、あるいは子供のセーターなんか、赤目吊って編んでる、そういう甲斐甲斐しい、いじらしい、無心の姿に、男心をそそられる」

おせいさん「なるほど」

モカ「または朝めし作ろう、てんでマナイタに庖丁の音をトントンさせてる、あたまを包んで腕をまくりあげての大掃除、洗濯物を干す、窓ガラスを一心こめて磨く、そういうりりしい、イソイソした、一生けんめい、一心不乱の姿が、男にはなんとも可愛らしィて、つい抱きつきとうなる、オイオイ、ちょっとこっちへおいでえな、などと呼びつけとうなります」

おせいさん「そんなもんなの、どうぞご自由に。フン」

モカ「ところが、自由にさせてくれたのは、ひと昔前の女房(よめはん)で今は違う」

おせいさん「今はどうなんです」

モカ「今は、誰に聞いても、アカンらしい、忙しいときに何ねぼけてんのん、なんて火の出るように叱られる」

おせいさん「あたり前でしょ。女には仕事の手順、手筈というものが、ちゃんとあるのですから、めったやたら邪魔されると困ります」

モカ「それが、昔の女であると、『こまるわねえ・・・・・・』なんていいながら、しぶしぶ、玄関のドアをロックし、窓をしめて、ぬれた手をふきふき、亭主の呼ぶままに奥へはいってきた」

 わかります。私はカモカのおっちゃんのいう昔を知っているとは言えないけれど、よーくわかります。要するにこれは論語に言う「恕」であります。「恕」は「他人の立場や心情を察すること。また、その気持ち。思いやり。」と解されます。相手を思いやって許す心です。先ほどの引用でいえば、カモカのおっちゃんに対し「女に思いやりを求めてるだけやないか。そんなん男のワガママ勝手で不公平やないの。」といった反論もありましょう。しかしそれは違うのです。男は違うシチュエーションで女の勝手ワガママを許すのです。いちいち不公平だの損だの差別だの言わないのです。損得でも、貸し借りでもないのです。だってパートナーですから。お互いを思いやっているのですから。許すのですから。

 本書『やりにくい女房』は田辺聖子氏のエッセイベストセレクションの第二弾である。こうなれば第一弾『女は太もも』、第三弾『主婦の休暇』も読みたい。さっそくAmazonでポチッとしてしまった。私の本棚の積読本は増え続けている。