佐々陽太朗の日記

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『教団X』(中村文則:著/集英社文庫)

2022/08/17

『教団X』(中村文則:著/集英社文庫)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

突然自分の前から姿を消した女性を探し、楢崎が辿り着いたのは、奇妙な老人を中心とした宗教団体、そして彼らと敵対する、性の解放を謳う謎のカルト教団だった。二人のカリスマの間で蠢く、悦楽と革命への誘惑。四人の男女の運命が絡まり合い、やがて教団は暴走し、この国を根幹から揺さぶり始める。神とは何か。運命とは何か。絶対的な闇とは、光とは何か。著者の最長にして最高傑作。

 

 

 

 本書は出版社の紹介文にあるように、奇妙な老人(松尾)を中心とした宗教団体、そして彼らと敵対する、性の解放を謳う謎のカルト教団(教団X、教祖は沢渡)に関係した四人の男女の織りなす物語。二人のカリスマの光と闇、希望と絶望の対比によって、宗教というものが持つ得体の知れない魅力と狂気とを浮き彫りにしている。

 本書で描かれた松尾と沢渡が主催する二つの宗教団体について少し書く。まず松尾の主催する宗教団体については、これを宗教団体と言って良いのかどうか迷うほどのゆるやかなつながりの集団である。松尾の言葉は「教祖の奇妙な話」としてかなりのページ数にわたって語られる。ブッダの悟りから、脳科学、哲学、宇宙、量子力学など、話は広汎にわたる。松尾の元に集まる者は、入信というよりは松尾の話の持つ哲学的な深みに吸い寄せられ、松尾に対する尊敬あるいは親愛の情でつながっていると言って良い。入ってくるのも出ていくのも、そこで共同生活するのも自由といった様子である。一方、沢渡が教祖の団体「教団X」はマンション一棟を教団施設とするセックス教団として描かれている。フリーセックスというより、性に対する一切の禁忌を無くしまぐわうことを一種の儀式として中心に据えているようだ。教祖沢渡の位置は松尾のそれとはまったく違い、信者は教祖への畏怖心をもとに絶対的な隷属状態にある。教祖の命令は絶対で、信者の言動はすべて教祖からの御託宣の影響下にあるという意味で思考停止(盲信:blind faith)状態にある。信者がマインドコントロールされているカルト教団と言っても良いだろう。

 その二つの教団に関わった男女四人が、教団の暴走に絡め取られ、あるいは主体ともなって世間を震撼させる事件を引き起こす。

 この物語はいったい何を言いたかったのか。私なりに考えたのは「理屈さえつければ人間はどのようなことでもする」ということ。その理屈は信仰、思想、信条、正義、理想、面子、助命、憐憫、愛などさまざま。そして「それをしたい」という願望が潜在的にあって、理屈は後付けであるということ。そう考えると日常感覚ではあり得ないカルト集団の暴走やテロ行為、残虐行為も、その行為者がどうして禁忌の壁を破ったのかがわかる気がする。

 私は若かりしころから「宗教」というものについてしばしば考えてきた。それは学校で習う歴史が「宗教はしばしば争いごとの原因となり、時の権力に利用され、時に集金マシンとなり、時に民衆を扇動する道具となって血塗られた歴史を編んできた」としか見えなかったからである。それなのに人は何故、そんな宗教を忌避するどころか信じ込み、その身を捧げてしまうのか。私から見れば騙されているとしか見えないのに。そうした疑問が今の世で現に絶えることのない世界各地の紛争や事件が起こる度に頭をもたげるのだ。そしてその結果、私は「宗教」というものを忌避している。それは新興のカルトに限らず、キリスト教だろうと、イスラム教だろうと、ユダヤ教だろうと、仏教だろうとその他あらゆる信仰を忌避してきた。いかに伝統ある宗教だろうと新興カルトと無縁ではなく、例えば原始キリスト教だって当時は新興宗教に過ぎず血塗られた歴史を重ねてきたのだから。本書を読んでやはり改めて宗教に近づきたくない思いは深まる。深い信仰には思考停止(盲信:blind faith)状態がつきもののように思えるから。その点について本書の中に示唆に富む一節があるので引いておく。

・・・・・・しかし恐ろしいと思いませんか。あらゆる宗教の聖典は、それが大昔に書かれたということのみによって信用され、それが大昔に書かれたということのみのよって変更不能なのです。

                      (本書P204より抜粋)

 これもまた思考停止(盲信:blind faith)のひとつのかたちです。ざっくり言って私は科学を信奉します。たとえ今日ほど科学が進歩してもなお人智を超えることがらが山ほど残ってしまうとしても、だからといってその空白やギャップの解決を神に求めようとは思いません。そこに宗教を必要とする人がいることを否定はしませんけれど。

 最後にひと言だけ。この物語には世論を右傾化を狙って扇動する目的を持って動く公安(政府)という設定がでてきますが荒唐無稽の感が拭えません。些か乱暴過ぎはしないかと不満が残ります。政府(権力)謀略論は折に触れ巷に囁かれることではありますが、あまりにもステロタイプな考え方で安直ではないでしょうか。いかにフィクションとはいえ、そういう設定をするならもう少し丁寧に物語を構築していただきたかった。公安(政府)がもともとそのような謀略をたくらむ組織であるかのような描き方は不当だろうと思います。