佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『作家の老い方』(草思社編集部 [編]/草思社)

2023/09/13

『作家の老い方』(草思社編集部 [編]/草思社)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

作家たちに学ぶ、年の取り方!
「老い」を描いたエッセイ、小説、詩歌三十三篇を選りすぐって収録。

 

【目次】
めでたき人のかずにも入む老のくれ 芭蕉
いい人生? あさのあつこ
加齢とイケメン 角田光代
若々しい女について 向田邦子
少年老いやすし――教科書の中の時限爆弾―― 井上靖
せっかく逝くのだから少し珍しい最期を 河野多惠子
老いの寒さは唇に乗するな 山田太一
人も年寄れ 古井由吉
年も老いもっと愚かに 佐伯一麦
老人とジム 島田雅彦
老いのくりこと 抄 谷崎潤一郎
いくつになっても色気を 筒井康隆
若さとは 金子光晴
老年と人生 萩原朔太郎
酒 堀口大學
和楽のつどい 杉本秀太郎
夕陽無限好 富士川英郎
早く年取ることが出来ればと…… 吉田健一
孤蓬浮雲 松浦寿輝
明日が 谷川俊太郎
老いたるえびのうた 室生犀星
辛抱 木山捷平
葛飾 吉行淳之介
老いて、思うこと 遠藤周作
不条理と秩序 吉田秀和
存命のよろこび 河野裕子
虚空の遊び――「私の履歴書」 森澄雄
老いについて 中村稔
人生後半の壁 穂村弘
まどろむ 倉本聰
「忘れ」の不思議 鷲田清一
老年期認知症への対応と生活支援 中井久夫
病床夢幻(二) 抄 太田水穂

 

 

 

 

 本書の冒頭、次の一文から始まる。

「めでたき人のかずにも入(いら)む老(おい)のくれ」

 かの芭蕉が画讃として書いた一文らしい。”どうやら自分も人並みの幸せ者の数に入ることになるのだろう。老いたしまった今年も暮れようとしている。”の意。これを書いた芭蕉は厄年の42歳。その昔、男42歳は「初老」のめでたい年とみなされた。平均寿命の短かったころの気持ちの表明ということであれば、今の平均寿命ならば還暦60歳がこうした心持ちになっても良い年齢か。

 もうすぐ満64歳を迎えることとなる私も「老い」を考える歳になった。芭蕉の言う「めでたき人の数」に入ったと喜ばねばなるまい。

 しかしはたして老いは60歳を超えたころから始まると単純に考えて良いのだろうか。それについて本書の中になるほどと思われる言葉があった。中村稔氏の「老いについて」にある一節である。それを引く。

 自己憐憫に陥るとき、あるいは、意識的にせよ無意識的にせよ、わが身が周囲に対する甘えを覚えるとき、老いたというべきだ、と私には思われる。逆にいえば、人によっては、「青春」が終ったと感じたとき、もう「老い」ははじまっているかもしれない。

 蓋し名言というべきだろう。確かに私は最近周囲に甘えている。青春なんてとっくに終わった。それどころか私にいわゆる青春と呼べる時期があったかどうかすら判然としないのである。考えてみれば、私は子どものころから老いていたのかもしれないとも思う。つまり私はどっぷり老いている。

 では老いてどうあるべきか。本書でそれを窺わせる言葉にたくさん出会った。

 いくら金持ちでも、学歴が高くても、眉目秀麗でも、鵺(ぬえ)のように得体のしれない世間の価値観なんかに疑うことなく振り回され、従属している人の人生は惨めだ。

 ・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・

 自前のモノサシをちゃんと持っている人をホンマモンの大人というのだ。

 ・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・

 後悔のない人生なんてありえない。足掻かず生きている人なんていまい。「いい人生」の定義なんて存在しない。人、それぞれが自分のモノサシを手に入れて、計り、創りあげるしかないのだ。

                    (あさのあつこ「いい人生?」より)

 

 身のまわりの年よりも若々しくみえる素直な友人たちを見廻して気がつくことは、彼女たちが、みな、悲観論者でない、ということです。

 よき夫よき子供たちにも恵まれているのに物事を悪い方悪い方と考えて、そのせいでしょう、顔つきが暗くけわしくなっている人を知っています。

 先のことをくよくよしたところで、なるようにしかならないのです。飢え死にした死骸はころがっていないのですから、みんな何とか生きてゆけるのです。そう考える度胸。これも若々しくあるために必要ではないでしょうか。

                  (向田邦子「若々しい女について」より)

 

 やがて、夕方になると酒が欲しくなる。まずひとフロあびて、錫のチロリを持ち出し、かたくちの酒を移してゆっくり始める。バカ飲みは決してしません。量はだいたい二合五勺。卓の上には、山海の珍味、見るからにうまそうです。

 ・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・

 頭上には、一生、酒との縁の切れそうもない僕を励ますかのように、「百年莫惜、千年酔一、盞能消、万古愁」という王次回の詩が掲げられています。これば僕の恩師永井荷風先生が、戦前、銀座二丁目裏にあった飲屋「おかざき」のためにお書きになったものです。

 ・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・

 終戦後、このお店がノレンをおろす段になった時、僕は請うてこの額を譲り受け、自分の酒の守り神としたというわけです。

                     (堀口大學「酒」より)

 

 最後の引用にある「百年莫惜、千年酔一、盞能消、万古愁」は「百年惜む莫れ千回の酔 一盞能く消す万古の愁(ひゃくねん・おしむなかれ・せんかいのよい・いっさん・よくけす・ばんこのうれい)」と読み下すのでしょう。とすれば「百年莫惜 千年酔 一盞能消 万古愁」と記す方が良いのかもしれません。ネット上で少しだけ調べてみましたが、これが王次回の詩であるという確証も得られませんでした。しかしそんなことはどうでも良い。
   人は百年の寿を保つことは稀である
   何もくよくよすることはない
   酒に酔うという喜びがあるではないか
   まず一杯盃をかたむけて愁いを解消するがよい 

 良き哉。なにもくよくよせず、自分なりのモノサシを持ち、なんとかなるさと覚悟して生きる。それしかないでしょう。