佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『おもたせ暦』(平松洋子・著/新潮文庫)

おもたせ暦』(平松洋子・著/新潮文庫)を読みました。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

おいしいものが好き。よろこんでもらうのはもっと好き。だから、手みやげをおもたせにしてふるまわれるのは何よりうれしい。大切なあの人の笑顔のために、心を込めて著者が選んだ品々は、きどらず、品よく、どれもおいしいものばかり!名店の逸品から手作りの一皿まで、豊富な写真と共に紹介します。ここ一番の手みやげに困ったあなたの味方にもなる、使えるおみやげカレンダー。 

おもたせ暦 (新潮文庫)

おもたせ暦 (新潮文庫)

 

  またまた付箋だらけである。欲しいものばかり、食べてみたいもの、行ってみたいところがまたまた増えてしまったではないか。おまけに読んでみたい本まで増えてしまったぞ。まことに困ったことだ。当然のことながら東京のものが多い。これまた困ったことだ。どうしてくれよう。

 忘れないようにそれらを整理しておく。

  • 「笹巻けぬきすし」(P81)
    辛夷(こぶし)の蕾がふくらみかけた頃、お江戸は神田の「笹巻けぬきすし総本店で。

  • 「シュリカンド」(P90)
    明治ブルガリアヨーグルトとドライフルーツがあれば作れるのがうれしい。
  • 花衣(P95)
    桜が満開の頃に食べたい、赤坂「塩野」の銘菓。
  • 「ガーナ」(P104)
    吉祥寺にあるなつかしさを感じさせる佇まいの洋菓子店「オオサワ」の傑作。
  • 「フルーツサンドウィッチ」(P121)
    正直なところフルーツサンドウィッチなどというものがうまいとはとても思えない。しかし、平松さんにそこまで言われれば一度は食べてみなければなるまい。東京都中央区日本橋「フルーツパーラーレモン」
  • 「まつのはこんぶ」(P134)
    すっぽんのスープでことことと炊いた極細の刻み昆布。これは私がひいきにしているおでん屋で教えてもらって、高島屋の通販で買ったことがある。
    大阪市西区新町「錦戸」
  • 「華ふうせん」(P142)
    京都の和菓子の老舗「末富」自慢の麩菓子。口の中で霞のようにふわりと消える雅びな菓子。
    京都府京都市下京区玉津島町「末富」
  • 「くるみ餅」(P145)
    くるみ餅といっても胡桃が材料ではない。鶯色は枝豆なのだ。店の名「かん袋」は秀吉から賜ったという由緒ある名。
    大阪府堺市堺区新在家町東「かん袋」
  • 「とろろ昆布とおぼろ昆布」(P158)
    あっさりとした風味の白昆布、酸味のきいた黒昆布、雲みたいにふわふわのおぼろ昆布。酒を飲んだ翌朝、たっぷりと椀に入れ熱い湯をそそいだ吸い物がいいだろう。
    旧東海道の西の起点、三条大橋「ぎぼし」
  • 「紅ゆら」(あかゆら)(P178)
    夏にこそ食べたい沖縄産の完熟トマト。
    沖縄県那覇市首里鳥堀町「パミスファーム」
  • 「水茄子太郎」(P191)
    夏はやっぱり水茄子の漬物だ。金っ気を嫌うので手で裂いて食べたい。裂いたその場で間髪入れず頬張るのが正しい食べ方だ。
    大阪府泉南市信達牧野「水なすのただやす」
  • 「揚げまんじゅう」(P232)
    サクッと揚がった生地のなかにたっぷりのこしあん。香ばしいごま油の香り。
    東京都千代田区神田須田町竹むら
  • 儀間武子製「みそピー」(P236)
    おおつぶの沖縄ピーナッツひとつぶひとつぶに味噌と砂糖をからめた沖縄銘菓。なかでもここはとびきりの味。
    沖縄県国頭郡伊江村東江上155 ホテルヒルトップ 
  • 「どら焼き」(P301)
    気どらず食べ応えのある甘いもの。時間がたっても美味しいのがうれしい。五月頃なら「草だんご」もよい。
    東京都杉並区阿佐谷北「うさぎや

 「あとがき」に書かれた平松さんの愛読書『ピアノの音』(庄野潤三)を買いました。庄野氏の本は高校生の時に『プールサイド小景』を読んで以来だ。正直なところ、あの頃は庄野氏の良さをわかっていたとはいえない。いまならわかる気がする。

 

アレクサ、朝に聴きたいジャズをかけて!

 昨年11月中旬に招待され申し込んでいた「amazon echo」の案内が一昨日に届き、発注。昨日の夜に家に届いた。

 セットアップを終え、「アレクサ」という呼びかけに反応することを確認して就寝。

 今朝、目覚めてすぐ「アレクサ、朝に聴きたいジャズをかけて!」と話しかける。するとどうだ、なんとアレクサは『呑みすぎた朝に聴きたいジャズ』を選択して再生し始めた。一曲目はビル・エヴァンスの”How My Heart Sings"、二曲目はチック・コリアの”ザ・ワン・ステップ”だった。

 勝手に気を回すんじゃないっ!!

どうやらアレクサは忖度するマシンだ・・・^^;

おそろしい・・・

YouTubeで落語 Vol.031 『お血脈(おけちみゃく)』

『新版 落語手帖』(矢野誠一・著/講談社)に紹介された274席のうちの31席目は『お血脈』。動画ではありませんが立川志の輔で聴きましょう。極楽と地獄の噺には『浮世根問』や『地獄八景亡者戯』などがあるが、地獄を面白おかしくお笑いにしてしまうところがイイですね。

 噺は「信濃国善光寺お血脈の御印というのを一分で売り出した。額(ひたい)にこの御印を押してもらえば、どんな大罪を犯した者も極楽往生できるという、けっこうな代物。その効果は抜群で、御印を受けた者は皆、極楽浄土へと行ってしまい地獄は開店休業の状態となった。地獄ではこれはいかんというので、石川五右衛門を極楽に送り込みお血脈の御印を盗ませようとする」というもの。込み入った噺ではなく軽妙なものだけに演者はそれぞれオリジナルの味付けをする。そのあたり噺家としてのセンスが問われるところ。

www.youtube.com

 

 

新版・落語手帖

新版・落語手帖

 

 

 

『赤めだか』(立川談春・著/扶桑社)

『赤めだか』(立川談春・著/扶桑社)を読みました。

 四年ほど前に読みたいと思い買い置いたものが本棚に眠っていました。この年末に本を整理していて、正月はこれを読もうと手に取ったものです。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

サラリーマンより楽だと思った。

とんでもない、誤算だった。

落語家前座生活を綴った破天荒な名随筆。

 

立川談春のエッセイというか自伝というか青春期というか、あのページが早く単行本にならないだろうか。あらゆる雑誌の中でいまいちばん面白い」 (”本の雑誌”07年1月号より エッセイスト・目黒孝二)

 

「笑わせて、泣かせて、しっかり腹に残る。プロの書き手でもこの水準の書き手は、ほどんどいない。間違いなくこの人は、言葉に祝福されている」 (文芸評論家・福田和也

 

 

赤めだか

赤めだか

 

 

 談春立川談志の弟子になり、二ツ目にあがり、やがて真打ちになるまでを描いた自伝的エッセイ。とはいえ、ここに書かれているのは談志(イエモト)のこと、いかに談志が魅力的か、自分がいかに談志に惚れぬいているかである。

 修行とは矛盾に耐えることである

談志(イエモト)が入門前の弟子に必ず言っていることである。「矛盾」を「相反するもの」あるいは「背反するもの」ととらえれば良いのであろう。しかし私なりには「矛盾」を「理不尽」と置き換えて理解している。談志(イエモト)の言うこと、求めることはしばしば理不尽と思える。特に修行を始めたばかりの若い弟子たちにとっては無理難題にも思えるだろう。弟子たちが理解できないことであっても談志(イエモト)はいちいち説明しない。落語の稽古は丁寧だが、その他のことはぞんざいに言いつける。四の五の言わずやれということだ。時には以前とは違うことも言う。それは談志(イエモト)が生身の人間であり、現在進行形で自分のあり方を考えているからであり、その意味でつねに揺らいでいる存在だからだ。それを理解せよ、納得せよということではない。オレ(談志)にとことん惚れろ。そして惚れたなら、オレ(談志)を喜ばせろ。とことん惚れた人を喜ばせられない者が客を喜ばせられるかということであろう。

 そう談志(イエモト)は理屈っぽいが、実は「情」の人なのである。談志の語る落語で私が大好きなものに『五貫裁き』がある。その中で大家・多呂兵衛がケチで薄情な徳力屋に啖呵を切る場面がある。その場面には談志の思い入れがたっぷりと入っていると思えるのでここで引いておく。

なんだってんだ、こんちくしょう。
八公は乞食じゃねぇんだ、ものもらいじゃねぇんだぞ。
「やったらとはなんだ」 てめえらの頭はそうなってやがるからろくなことはねえんだ。
確かに八公は法を曲げた、法を曲げたから大岡様から科料をくらった。
しかたがねえ。
てめえところは法を曲げてはいねえかもしれねえが、人の情に背くからこんなことになるんだ。
この大バカやろうめ!

 法や理屈を大事なものと知りながら、一等大事なものは「人の情」だと言い切る談志。我々は談志の落語だけが好きなのではない。談志という人間が好きなのだ。そして談志に惚れ抜いている一門のあり方が好きなのだ。

 本書に書かれた談志(イエモト)の言葉で特に心に響いたものを忘れないために引いておく。

【落語とは人間の業の肯定である】

あのネ、君たちにはわからんだろうが、落語っていうのは他の芸能とは全く異質のものなんだ。どんな芸能でも多くの場合は、為せば成るというのがテーマなんだな。一所懸命努力しなさい、勉強しなさい、練習しなさい、そうすれば最後はむくわれますよ。良い結果がでますよとね。

忠臣蔵は四十七士が敵討ちに行って、主君の無念を晴らす物語だよな。普通は四十七士がどんな苦労をしたか、それに耐え志を忘れずに努力した結果、仇を討ったという美談で、当然四十七士が主人公だ。スポットライトを浴びるわけだ。でもね赤穂藩には家来が三百人近くいたんだ。総数の中から四十七人しか敵討ちに行かなかった。残りの二百五十三人は逃げちゃったんだ。まさかうまくいくわけがないと思っていた敵討ちが成功したんだから、江戸の町民は拍手喝采だよな。そのあとで、皆切腹したが、その遺族は尊敬され、親切にもされただろう。逃げちゃった奴らはどんなに悪く云われたか考えてごらん。理由の如何を問わずつらい思いをしたはずだ。

落語はね、この逃げちゃった奴らが主人公なんだ。人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいけないと、わかっていてもつい飲んじゃう。夏休みの宿題は計画的にやった方があとで楽だとわかっていても、そうはいかない。八月末になって家族中が慌てだす。それを認めてやるのが落語だ。

寄席にいる周りの大人をよく見てみろ。昼間からこんなところで油を売ってるなんてロクなもんじゃねェヨ。でも努力して皆偉くなるんなら誰も苦労はしない。努力したけど偉くならないから寄席に来てるんだ。

『落語とは人間の業の肯定である』

よく覚えときな。教師なんてほとんど馬鹿なんだから、こんなことは教えねェだろう。嫌なことがあったら、たまには落語を聴きに来いや。あんまり聴きすぎると無気力な大人になっちまうからそれも気をつけな!

(本書P12~P13より)

 

【嫉妬とはなにか】

お前に嫉妬とは何かを教えてやる。

己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬というんです。一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。芸人なんぞそういう輩の固まりみたいなもんだ。だがそんなことで状況は何も変わらない。よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿という。

(本書P116より)

 

 締めくくりに談春が談志に入門したいと思ったきっかけという「芝浜」を聴く。といっても年末年始は毎晩、談志の「芝浜」を聴きながら眠っているのだが・・・。

 何度聴いても聞き飽きない。それが古典落語のいいところだ。

www.youtube.com

 

 

オムライス

本日の厨房男子。

朝餉にオムライスを作りました。

なかなかうまくいきません。

血中コレステロール値を気にして、家ではオムライスを作ることは控えておりました。フライパンを出したときはもっぱら炒飯を作っておりましたが、最近の学説では卵は悪くないとのこと。卵解禁とばかりに二日続きでオムライスに挑戦。しかしなかなかうまくいきません。昨日は少々焦げすぎ。今日はかたちが悪い。あと何回か作ればなれてくるでしょう。

『本日のオムライス』

『昨日のオムライス』