佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

早瀬浦 純米

 本日の一献は「早瀬浦 純米」です。

 キリッと辛口。男酒ですね。

 冷たく冷やした状態では素っ気なく感じるほどの辛口も、時間が経ち常温になると風味がでてくる。おそらく燗にすると花開く酒かと。しかし今日のところは冷やをとおす。なぜか。別に意味は無い。単なる気分です。酒は気分で飲むものです。

 アテは「イカの糀漬け」「ゴーヤチャンプルー」「唐辛子炒め」。

カントリーソングを楽しむ 旧居留地100番地 100BANホールにて

今日の午後は三ノ宮で懐かしいカントリーソングを聴きました。

場所は神戸旧居留地100番地高砂ビル内の100BANホールです。このビルは1949年築で大震災をも生き残った歴史ある建物。演奏者は稲葉和裕さん。若い頃からアメリカに渡りプロとして歌ってこられた方です。

14:00~15:00までの90分間を懐かしい曲を時には聴衆も一緒に歌いながら堪能しました。

カントリーソングにはジャンバラヤのようにテンポが良く明るい感じの曲もあるけれど、哀しげな曲が多く、私はどちらかというとそういった曲の方が好みです。

ガタイのいいヤンキーが案外女々しいところがツボにはまります。バーボン・ロックをやりながら聴くと一層気分が出ます。

みんなで合唱した曲。


Bonnie Raitt & Norah Jones~Tennessee Waltz

 

私の大好きな曲。


PETER, PAUL AND MARY ALIVE "500 Miles"

 

故郷のしあわせな家庭を思う曲かと思いきや、3番の歌詞を聴くと死刑囚の話だったという哀しすぎる曲。

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ステーキ屋ケンちゃん

 今日の昼餉は神戸三宮センター街センタープラザの「ステーキ屋ケンちゃん」で。

 本当はこの店のお隣にある「たこ焼き たちばな」で玉子焼き+生ビールのつもりだったのだ。しかし行列ができていたのだ。たかが玉子焼きごときに列んで食えるか! 列んでいる諸君、君たちはそこまでして玉子焼きが食いたいのか! いったい君たちの人生に於ける玉子焼きの位置づけはどのあたりにあるのだっ! と、心の中で鋭くツッコミを入れながら、となりにあるステーキ屋にフラフラッと入ったのだ。いいのだ、粉もんを食いたいようでいて、潜在意識の中では赤身肉を食いたい気分でもあったのだ。オージービーフなら脂身も少ないだろう。脂ののった肉も嫌いではないが、キンキンに冷えたビールには赤身肉の方が良い。

 カウンターに腰掛け、ヒレステーキ200gと生ビールをきっぱりと注文。ご飯はいらない。私はビールを飲みに来たのだ。

 ビールを飲みながら暫し待つと、ステーキが焼き上がって出てきた。ちょうど一杯目を飲み干したばかりで良いタイミンだ。すかさずビールのおかわりを注文。

 分厚いブロックはやわらかくジューシー。噛みしめると旨みがたっぷりと味わえる。ライオンが赤身肉を頬張るようなワイルドな感じがたまらない。満足でした。

 そうそう、となりのオッチャンはサーロインステーキ200gにおろしにんにくとマスタードをたっぷり載せて食べていた。価格はヒレステーキの約半額。次はこれだな。300gでもいいな。

『二十四節節気の京都 観る、知る、食べる、歩く』(柏井壽・著/京都しあわせ俱楽部/PHP研究所)

 『二十四節気の京都 観る、知る、食べる、歩く』(柏井壽・著/京都しあわせ俱楽部/PHP研究所)を読みました。昨晩、著者・柏井壽さんからサイン入りでいただいた御本です。

二十四節気とは、1年を春・夏・秋・冬の季節に分け、それぞれをさらに6分割して24の期間に名前をつけたもの。「立春」「春分」「立夏」「大暑」「冬至」「大寒」……。日本人はこうして、日々の自然の変化を見つめつづけてきた。そして、四季の変化が豊かな日本のなかでも、京都ほど四季折々の美しさを味わい、楽しめる土地はない。京都人は、二十四の季節の変化に沿った年中行事や風習とともに、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵をこらしてきたのである。本書は、二十四節気ごとにその季節の意味合い、どこが見頃か(伝統行事、祭り、寺社仏閣などの観光スポット)、何を食べるか(食材、和菓子)、その時季に歩きたい道、訪ねるべき店と場所のなかから、特におすすめしたいものを、選りすぐって紹介する。京都旅の究極のガイドブックである。二十四節気とは、1年を春・夏・秋・冬の季節に分け、それぞれをさらに6分割して24の期間に名前をつけたもの。「立春」「春分」「立夏」「大暑」「冬至」「大寒」……。日本人はこうして、日々の自然の変化を見つめつづけてきた。そして、四季の変化が豊かな日本のなかでも、京都ほど四季折々の美しさを味わい、楽しめる土地はない。京都人は、二十四の季節の変化に沿った年中行事や風習とともに、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵をこらしてきたのである。本書は、二十四節気ごとにその季節の意味合い、どこが見頃か(伝統行事、祭り、寺社仏閣などの観光スポット)、何を食べるか(食材、和菓子)、その時季に歩きたい道、訪ねるべき店と場所のなかから、特におすすめしたいものを、選りすぐって紹介する。京都旅の究極のガイドブックである。

 

二十四節気の京都 観る、知る、食べる、歩く (京都しあわせ倶楽部)

二十四節気の京都 観る、知る、食べる、歩く (京都しあわせ倶楽部)

 

 

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 今日は9月10日。白露の節気を迎えたのが9月7日。その初候は 草露白(くさのつゆしろし)と云い、草花の上に降りた朝露が、白く涼しく見える頃。まさに夏から秋への変わり目です。9月20日には彼岸に入る。

白露の項を読むと「ぼた餅」と「おはぎ」について書いてある。春の彼岸は「ぼた餅」、秋は「おはぎ」。それぞれ牡丹の花、萩の花に由来し、同じお菓子が季節によって名前を変えるのだとか。私はそうしたことも知らずに過ごしてきた。これまで「ぼた餅」と「おはぎ」を間違いなく使い分けてきたかどうか、いささか心許ない。またこの節気を代表する果物として「梨」について書いてある。梨はそのまま水菓子として食べられるだけではなく、白和えなど料理にも使うのだとか。「梨の白和え」は食べたことがない。一度作ってみたい。

 

 

大阪ぶらぶら BABEL

 昨夜は守口市で美味い寿司に舌鼓を打ち、夢の拡がる会話を交わしながら酒に酔いしれた。

 今日は午後から武庫之荘で会議がある。梅田あたりでも良かったのだが、9日午前中を過ごすプランが頭に浮かび京橋駅にほど近いホテルニューオータニ大阪に宿をとった。別に大したプランではないのだが、ホテルから寝屋川、大川沿いをあたかもその街の住人のようにぶらぶら歩き国立国際美術館へ行くというものである。国立国際美術館では『ボイマンス美術館所蔵・ブリューゲルバベルの塔」展』が開催されている。距離も5㎞程度で大したことはない。

 『プリンセス・トヨトミ』に思いをはせながら、天気の良い公園内を歩くとすこぶる気分が良い。

 私は歩くのが好きだ。自転車で走るのも好きである。時間があれば街を彷徨い歩く。これだけ動いて痩せないのが不思議でならないのだが、体重は70㎏台後半を維持している。痩せない理由は明確なように思える。すなわち「食べる」からだ。その上「飲む」からだ。万に一つもその仮説に誤りはないだろう。しかし、一見隙の無いその仮説にも疑問を投げかける現象が世に存在するという。「水を飲んでも太る」というのがそれだ。そんなことあるはずはないとは思うものの、嘘だと断じてしまうことが躊躇われるほどその言葉を良く耳にする。それは私だけではないはずだ。そうすると私も「水を飲んでも太る」体質に生まれているのかもしれないという仮説が成り立つ。一度やってみるかと思ったが、そのバカな考えは今やポンコツとなった私の脳の中で即座に却下された。なぜなら仮にそのような現象があると証明されたところで、人類の未来に何の利益ももたらさないだろうからだ。それどころか、そんなことをして健康を損ねたら損ではないか。などと埒もないことを考えながら歩いていると国立国際美術館に着いた。

バベルの塔」展では、まず大友克洋さんの「INSIDE BABEL」が私を迎えてくれた。素晴らしいではないか。

 

 ホンモノのBABELは展示室内で30分の行列という超人気。見終えた私は疲れ果ててレストラン・中之島ミューズで煮込みハンバーグセットとビールを頼んだのであった。午後の会議まで3時間以上ある。移動もバス、電車、タクシーの乗り継ぎだ。問題なかろう。

 

 

STORY BOX 2017年4月号

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久々に「STORY BOX」を購入。2011年9月号以来である。思うところあって購読を止めていたが、このところ柏井壽さんが『鴨川食堂』や『うみちか旅館』を連載されていると知り再開した次第。『うみちか旅館』は第3話まで話が進んでいる。これ以前の既刊本については小学館のサイトで手に入らない、古本を探すしかない。短気にも購読を中止した報いか・・・とほほ。

「今月のイチオシ本」「今日のメシ本昼ごはん」などコラムが充実。初期の「北上次郎の本の話」というコラムを楽しみに読んでいたのを懐かしく思い出した。しかしこうしたコラムは私にとって大変危険な存在なのだ。というのも、本に関係したコラムを読むにつけその本が読みたくてたまらなくなる。ついついamazonでポチッとクリックしてしまうのだ。費用はかさむ、積読本の山はさらに高くなるという状態をどんどん悪化させてしまうのだ。買うのを止めれば良いのだが、それが出来ないのが書痴という病気のやっかいなところだ。