佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

新潮45 2018年9月号

 

 巻頭「今月の一枚」は豊洲市場の写真。7月31日に小池東京都知事豊洲市場の「安全宣言」をしたことについて「笑止千万である」と喝破した。科学的に「安全」であった豊洲市場を「安心でない」として政争の具にした小池氏への辛辣な批判である。まことに痛快。他のメディアと一線を画し大衆迎合しない姿勢がうかがえる。
 特集は【「茶の間の正義」を疑え】。「茶の間の正義」とは山本夏彦氏の言葉である。氏は「正義」という言葉の胡散臭さを嗅ぎつけていらっしゃったのだ。東京医大裏口入学、災害時の宴席に対してマスコミが茶の間におもねって垂れ流す底の浅い正義を「何が悪い?」と開き直って問いかける。あえて批判を怖れず硬派な姿勢をつらぬくあたり見上げた根性です。
 この雑誌が危ないのではない。マイノリティーの人権擁護に熱心で、さも社会に寛容さを求めているように振る舞いながら、自分たちの気に入らない主張に対し不寛容な勢力が巧みな印象操作で世論を操っていくことこそが危ないのではないか。「新潮45」の休刊に危険な兆候を感じるのは私だけだろうか。

 

新潮45 2018年 09月号

新潮45 2018年 09月号

 

 

 

茶の間の正義 (中公文庫)

茶の間の正義 (中公文庫)

 

 

 

新米炊きたて

本日の厨房男子。

穫れたての新米の炊き上がりに「まつのはこんぶ」と小梅ぼし。「まつのはこんぶ」は<新町 花錦戸>の料亭の味。松の葉のように細かく刻んだ昆布をすっぽん出汁で炊きあげ刻み山椒の風味を加えてしあげてある。

主役のごはんを引き立ててくれます。

うまい。

しみじみうまい。

 

『好きになった人』(梯久美子・著/ちくま文庫)

『好きになった人』(梯久美子・著/ちくま文庫)を読みました。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

時代に鮮烈な足跡を残した人々を、深い取材のもとに描いてきた著者が、忘れられない人々について綴る。石内都石垣りん森崎和江などの表現者島尾ミホ吉本隆明森瑶子など直接素顔に接した人たち。管野スガや栗林忠道など激動の時代の証言者たち。個々の人生を通して社会を見つめるノンフィクション作家によるエッセイ。文庫化にあたり加計呂麻島紀行を収録。

 

好きになった人 (ちくま文庫)

好きになった人 (ちくま文庫)

 

 

 四金会(月に一度、第4金曜日に集まる有志による読書会)の今月の課題書。

 梯さんの好きになった人は栗林忠道島尾ミホ石垣りん森崎和江、管野スガ、東君平森瑶子吉本隆明黒岩比佐子児玉清、そして老いた父。この老いた父というのが泣かせる。本書はもともとエッセイ集『猫を抱いた父』が文庫化されたものである。「猫を抱いた父」というエッセイはたまたま老いた父とトルコ旅行に出かけることになり、子供の頃からこれまでほとんどコミュニケーションをとってこなかった父と過ごし、これまで知らずにいた父の姿を見ることで自分の中にある父のイメージがだんだん変わっていく様が書かれている。だんだん父親を一人の男として尊敬していく様子がうかがえる秀作である。

 メンバーのMさんから、梯さんの書かれたノンフィクション『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』を借りた。こいつは重そうだ。秋の夜長にコツコツと読まねばなるまいな。

 

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ

 

 

 

『金沢名酒場100 - 通いたい心酔わせる粋な店・・・』(ぴあMOOK中部)

『金沢名酒場100 - 通いたい心酔わせる粋な店・・・』(ぴあMOOK中部)を読みました。

 情報収集目的の一冊。仕事も兼ねたお勉強です。

 

金沢名酒場100―通いたい心酔わせる粋な店… (ぴあMOOK中部)

金沢名酒場100―通いたい心酔わせる粋な店… (ぴあMOOK中部)

 

 

 100店もとりあげて名酒場といっていいのか? との疑問が頭をもたげるが、読んでみるとなるほど店それぞれに魅力があふれている。金沢は酒と食のワンダーランドだ。

 特別企画「太田和彦が語る粋な酒場の歩き方」に「いい店に出会うには、古く長く続いている家族経営の店を探すことに尽きるね。長く続いているということは、アコギな商売をせず、良心的な経営を続けているということ」と喝破している。慧眼なり。

 いの一番に紹介されている店が「大関」だというのも正しい視点だと思える。

 金沢は何度でも訪れたい町のひとつ。でも100店は無理だな。

『コンビニ人間』(村田沙耶香・著/文藝春秋)

コンビニ人間』(村田沙耶香・著/文藝春秋)を読みました。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

第155回芥川賞受賞作!36歳未婚女性、古倉恵子。大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。これまで彼氏なし。オープン当初からスマイルマート日色駅前店で働き続け、変わりゆくメンバーを見送りながら、店長は8人目だ。日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。仕事も家庭もある同窓生たちからどんなに不思議がられても、完璧なマニュアルの存在するコンビニこそが、私を世界の正常な「部品」にしてくれる――。ある日、婚活目的の新入り男性、白羽がやってきて、そんなコンビニ的生き方は「恥ずかしくないのか」とつきつけられるが……。現代の実存を問い、正常と異常の境目がゆらぐ衝撃のリアリズム小説。

 

コンビニ人間

コンビニ人間

 

 

 子供の頃、自分を周りに合わせるのに苦労した経験を持つ私にとって、本書は忘れなければならない過去を呼び覚ましてしまうものだ。当時、家族を含む周りは私を矯正しなければならないという確固たる意志をもって動いていた。幸か不幸か私は今、社会に適合している。その度合いは周りからみて十分すぎるほどだ。たまに本当の自分を隠しきれずぶっ飛んだ考えを表明してしまうことがあるが、それを周りは許容できる程度の多様性と好感するようだ。本書は無垢であった過去の私を蘇らせ、今の私に「このウソつきめが!」と迫ってくる。少々居心地が悪い思いをしながら読み終えた。

 本書において「コンビニ」は「マニュアル」の象徴。そして「マニュアル」はそれに沿った行動が正しいとの御墨付きである。「マニュアル」に従って行動している限り他者から非難される危険はない。他者からどう思われるかを気にして落ち着かない病に罹ったら、その処方箋はずばり「マニュアル」である。しかし「マニュアル」は少しずつ自分を殺していく。乱暴な言い方ではあるけれど、本書で著者が書きたかったのはそういうことかと思う。

 本書において、著者は読者に「いったい”普通”(あるいは”正常”)とはどういう状態のことなのか?」という疑問を投げかけてくる。死んだ小鳥を焼き鳥にして食べようと言うことは異常。(実際に多くの人がそう感じるだろう) その小鳥を弔うために地中に埋め、花を手向けることは正常。その花は厳しい自然環境の中で生を得て花を咲かせているにもかかわらず、たまたま死んでしまった小鳥のために摘み取られることになる。死んだものを食べようとする行為(A)と、死んだもののために生あるものの命を絶ってしまう行為(B)とでは、いったいどちらが正常なのか。無垢(innocent )な状態で判断するならば(A)が正しいのではないだろうか。少なくとも(B)は論理的に矛盾している。しかし、「色鮮やかでかわいい小鳥がかわいそうなことに死んでしまっている。死んだ小鳥の側には美しい花が咲いていた」という状況において、多くの人はその小鳥を葬り花を手向けるという行為を思いやりのある行為として好感する。その「多くの人がその方が良いと感じる行為」が曲者なのである。「死んだ小鳥に花を手向ける」=「多数派」、「死んだ小鳥を焼き鳥にして食べる」=「少数派」。それが常識というものの姿である。多数派が常識という力をもって少数派を矯正(あるいは排除)しようとする。そのことの是非を本書は問うている。

 普通でない主人公はマニュアルに従い、きびきびと仕事をこなす。マニュアルが主人公の行為の正当性を保証してくれるからだ。一方、同僚である普通の人はマニュアルが守れず、仕事そっちのけで噂話に花を咲かせている。いったいどちらが普通なのか。「普通」「正常」「常識」「あたりまえ」といったものの持つ不条理を考えさせられる。

 

 

パンの器でカマンベールチーズをフォンデュ風に(進化形)

 一昨日に続きパンの器でカマンベールチーズをフォンデュ風にして食べました。2回目のチャレンジは器をカマンベールチーズまるごと入るように角食半斤にしました。少しずつ進化しています。

 今日は日本酒にしました。『龍の尾 純米大吟醸』。風味良く後口にここちよい余韻の残る酒です。

豊の秋 純米 ひやおろし

 松江土産の「豊の秋」をやりました。純米酒ひやおろしです。ラベルに描かれた稔った稲穂にとまる雀の絵がかわいい。一夏越して搾った酒は鮮烈な風味の中に豊かな味わいを持っています。アテは鯖のしおから。安来の道の駅で買いました。青い魚独特のクセがあり、そこが却って旨味となっています。酒のアテに良いです。他には但馬屋の揚げ出し豆腐、新ものの秋刀魚塩焼き。いずれも日本酒の味を引き立て、逆に日本酒によってさらにうまくなる肴です。秋ですなぁ・・・

 〆はシジミの味噌汁。