ぐずでお人好しの「さぶ」。何をやらせてもとろくさい。しかし、優しい。そんな「さぶ」の仕事仲間「栄二」。「さぶ」とは対照的に、仕事が出来、男ぶりも良い。当然、女にももてる。
江戸の下町で職人として丁稚奉公している「さぶ」と「栄二」。二人とも十五歳ということもあり、仲良く仕事に励んでいるが、「さぶ」がそんな様子なので兄貴肌の「栄二」は時に「さぶ」が焦れったい。ついつい叱りつけるような口ぶりになる。しかし、そんな「さぶ」を放ってもおけず何かと構ってやっている。
ある日「栄二」は得意先で古金襴の切を盗んだという濡れ衣を着せられ、奉公先から暇を出されてしまう。
「栄二」は身の潔白を証明する手だてもなく、いらだちが募り、生活も荒んでいく。そして、とうとう人足寄場にまで身を落としてしまう。世の中全てを恨み、何も信じられない「栄二」の心境を人足寄場の人々や「さぶ」、「栄二」を慕う「おすえ」「おのぶ」といった人々が少しずつ救っていく。
題名となった「さぶ」は主人公ではない。主人公は「栄二」。「さぶ」は脇役である。何をやらせても人並みに出来ないぐずな「さぶ」。しかし、そんな「さぶ」の真正直で底抜けに優しく、とことん「栄二」を想い信じる心が「栄二」を救う。「栄二」は決して「さぶ」を馬鹿にしない。人から見れば強く、賢く、格好が良い自分が、陥った救いのない境遇。しかし、そんな境遇の中でこそ「栄二」は自分にとって「さぶ」がどのような存在なのかを悟る。「栄二」の心の中にある「さぶ」の存在がこの物語の主人公だ。
久しぶりに、翌日に仕事があることを気にしつつ睡眠時間を削っても一気に読んでしまいたい小説に出会った。名作である。
小説の中で気に入った一節を記す。
「女なんてそんなもんだ」英二が云った、「撫でた手でつねるし、つねった手で撫でるようなことをする、そしてどっちもすぐに忘れちまうんだ、――少しは落ち着いたか、さぶ、もうここいらで帰ってもいいだろう」
栄二の声である。作者の洞察力に脱帽。
もう一つ、心に残った一節がある。
手習いするのにうまい字を書こうと思うな、と芳古堂の親方が諄いほど云った。うまい字を書こうとすると嘘になる、字というやつはその人の本性をあらわすものだ。いくらうまい字を書いても、その人間の本性が出ていないものは字ではない。
いろいろな意味で考えさせられる本だ。二度三度読めばさらに深く考えさせられるだろう。