佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

出口のない海

 並木らがボートに乗り込み伊号潜水艦へ向かうと、見送る基地隊員は岸壁に鈴なりだ。「帽ふれ!」の合図で一斉に何百もの帽子が打ち振られる。潜水艦に「非理法権天」と書かれた幟がするすると上がった。非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず。最も強きもの、それは回天――。
 岸壁、島、山、追いかけてくるボート。すべて、人、人、人で埋め尽くされている。
 ……………………(略)……………………
 出港ラッパが海面に木霊する。
「両舷前進微速、しずーかにー進みまーす」
                             (本書P253より)

 

 『出口のない海』(横山秀夫・著/講談社文庫)を読みました。この夏、呉に行ったときに、呉港近くの書店「啓文社」で買い求めたものです。そういえば、以前に呉を訪れたときも啓文社で本を買い求めた。『散るぞ悲しき ー 硫黄島総指揮官・栗林忠道』(梯久美子/著・新潮文庫)である。どうやら呉に行けば大和ミュージアムを訪れた後、近くの啓文社で本を買うのが習いとなってしまったようだ。
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 まずは裏表紙の紹介文を引きます。

 


人間魚雷「回天」。発射と同時に死を約束される極秘作戦が、第二次世界大戦終戦前に展開されていた。ヒジの故障のために、期待された大学野球を棒に振った甲子園優勝投手・並木浩二は、なぜ、みずから回天への搭乗を決意したのか。命の重みとは、青春の哀しみとは――。ベストセラー作家が描く戦争青春小説。


 

 主人公・並木浩二は、決して主戦論者でなく、むしろたとえ敵国兵士であってもできれば人は殺したくないという考えの持ち主である。では何故、そんな彼が自ら回天搭乗という特攻に志願したのか。出撃の機会を今か今かと心待ちにするまでになったのか。甲子園のヒーローが肘を壊し、来る日も来る日もグラウンドを黙々と走りつづけた1941年から、1945年、終戦間際までの主人公の生き様、心の軌跡を読みたどるにつけ胸が張り裂けるように痛む。
 回天の搭乗員は万に一つの助かる可能性もない出撃が怖くなかったわけではない。如何に訓練を積み重ねたとて、魂の高みに達したとて人間であれば、死が怖くなかったはずはないだろう。しかし信じがたいことに明日は出撃するという送別会での搭乗員の表情は清々しかったという。皆が微かな笑みを浮かべ、静かに酒を酌み交わしたという。一切の私を捨て、公に全てを捧げたとき、人はそこまでの高みに達することができるであろう。回天に搭乗し、海に散った若者に比して、我が身を省みるに羞恥に身の縮む思いです。
 奇しくも明日は「9.11」。10年前の記憶はまだ色あせずに私の中に残っている。回天(あるいは特攻)とテロとは全く違うものである。しかし、自らが弾となって、自らの命と引き替えに何かを為そうとする(あるいは何かを壊そうとする)者の想いとはなにか、やはり私は考えずにはいられない。

 

9/11, Wake me up when september Ends Video