佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

なつかしい時間

 フェルドゥースィーは言います。この世の支配者は「時」であって、きみが王であれ奴隷であれ、時がきみを吹き消すとき、あらゆる苦しみと喜びは夢のように、あるいは水のように消えてゆく。だから、王であれ奴隷であれ、良い思い出を遺す人こそ幸福なのだと。

                                 (本書P101「一冊の本の話」より)

 

『なつかしい時間』(長田弘・著/岩波新書)を読みました。詩人、長田弘氏が17年もの間、NHK「視点・論点」で語られた言葉のようです。やさしい語り口で書かれています。

まずは出版社の紹介文を引きます。


言葉、風景、人たち、本…。この国の未来にむかって失われてはいけない大切なもの。二十世紀の終わりから二十一世紀へ、そして3・11へという時代に立ち会いつつ、再生を求めて、みずからの詩とともに、NHKテレビ「視点・論点」で語った十七年の集成。


 

 

 

 長田氏が好きなもの。何でもない五月の美しい光景。無用の時、ふるさと、気風、「退屈」というゆったりした時間、遠くを見やる眼差し。長田氏が嫌いなもの。偏差値、最近氾濫している訳のわからない名詞。コンビニ、ファーストフード、メール、ネット。遠くを見る眼がなくなったこと。習慣の力がなくなったこと。失われたり、変容してしまった気風、スタイル、習慣を懐かしむ気分は大変よくわかります。しかし、いささか決めつけが過ぎます。とはいっても、この本を読んでいるあいだ、心なしか時間がゆっくりと快く流れていたのは確かだ。良き随筆。

 冒頭に引用したフェルドゥースィーの至言を忘れることは無いでしょう。我々生を受けたものは皆「時」に支配されています。とすれば、長田氏のいう無用の時や「退屈」をうけいれ、それを愉しむということこそ最高の贅沢と言えましょう。私がそのような境地に至ることはおそらく不可能でしょう。しかし、遠くに目指すものが見えてきた気がします。読んで良かった。こころからそう感じます。