佐々陽太朗の日記

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『冷血』(トルーマン・カポーティ:著/佐々田雅子:訳/新潮文庫)

『冷血』(トルーマン・カポーティ:著/佐々田雅子:訳/新潮文庫)を読みました。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

カンザス州の片田舎で起きた一家4人惨殺事件。被害者は皆ロープで縛られ、至近距離から散弾銃で射殺されていた。このあまりにも惨い犯行に、著者は5年余りの歳月を費やして綿密な取材を遂行。そして犯人2名が絞首刑に処せられるまでを見届けた。捜査の手法、犯罪者の心理、死刑制度の是非、そして取材者のモラル―。様々な物議をかもした、衝撃のノンフィクション・ノヴェル。

 

冷血 (新潮文庫)

冷血 (新潮文庫)

 

 

 1959年にカンザス州で起きたクラッター家の一家惨殺事件を追ったノンフィクション・ノベル。カポーティはこの執筆に際し三年を費やしてノート六千ページにおよぶ資料を収集し、さらに三年近くをかけて資料を整理したという。そして何よりも重要と思われるのは、この『冷血』を書き上げて以降、彼は何もかけなくなったということだ。

 カポーティはこの小説の中でとりわけ犯人の一人であるペリーにひとしお思い入れを持っていたと見える。ペリーは、父は粗暴、母は酒乱という家庭に生まれ、その両親も幼い頃に離婚、一時は孤児院に預けられたものの、その後、父に引き取られるがろくに学校にも通わせてもらえなかったという境遇に育っている。カポーティ自身、両親は彼が子供の時に離婚し、ルイジアナミシシッピアラバマなど各地を遠縁の家に厄介になりながら転々として育っている。

 事件を小説にするためにペリーに近づき取材し、ペリーに複雑な思い入れを持ちながらも、それを第三者的に描き小説を完成させる。そしてこの小説も反響を呼び、さらなる富と名声を得る。カポーティにとって、そうしたことが我知らず心の重荷になっていたとは考えられないか。自分の中にある冷酷さを知ってしまった結果、カポーティ自身が壊れてしまったのではないか。もちろんこうした推察はうがったものだろう。事実に反する可能性が高い。しかし事実に反する想像もこの小説に重みと深みを持たせるという意味で読者に許される行為だろう。作家にとって大切なのは事実じゃない。小説が読者の心をどう揺さぶるかなのだから。