佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

鉄の骨

 そのとき、平太は一線の馬群を割って飛び出したゼッケンを見て、息を呑んだ。ものすごい末脚である。

 唖然としてウイニングランを眺めていると、ぽんぽんと、三橋が平太の肩を叩いた。

「どんな駄馬でも、たまには勝つこともある。それが人生というものだよ、平太。だからおもしろいんじやないか」

 そういうと、三橋は来賓室を出て行った。

                            (本書P210より)

 

『鉄の骨』(池井戸潤・著/講談社文庫)を読みました。

 

まずは出版社の紹介文を引きます。


会社がヤバい。彼女とヤバい。

次の地下鉄工事、何としても取って来い。――「談合」してもいいんですか?

中堅ゼネコン・一松組の若手、富島平太が異動した先は“談合課”と揶揄される、大口公共事業の受注部署だった。今度の地下鉄工事を取らないと、ウチが傾く――技術力を武器に真正面から入札に挑もうとする平太らの前に、「談合」の壁が。組織に殉じるか、正義を信じるか。吉川英治文学新人賞に輝いた白熱の人間ドラマ!


 

 

「正義」とは何か? それはその者がいる環境、立場、その時の状況、抱える事情によって異なる。「正義」などというものは、それを判断する人間の主観であって、時代によっても変わるほど危ういものだ。「ルールを守ること」=「正義」というのも一見正しいようだが、そのルールに欠陥があれば、或いは不公平があれば必ずしも正しいとは言えない。そう言いながら「欠陥」とはなにか、「不公平」とはなにかを考えていくと、これまたそれを判断する者の主観といわざるを得ない。なんだかどんどん判らなくなる。単純に正義を語っていた若かった頃が恥ずかしくも懐かしい。