佐々陽太朗の日記

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『世にも美しい日本語入門』(対談:安野光雅・藤原正彦/ちくまプリマー新書)

『世にも美しい日本語入門』(対談:安野光雅藤原正彦ちくまプリマー新書)を読みました。

    

 まずは出版社の紹介文を引きます。

七五調のリズムから高度なユーモアまで、古典と呼ばれる文学作品には、美しく豊かな日本語があふれている。若い頃から名文に親しむ事の大切さを、熱く語りあう。

 

世にも美しい日本語入門 (ちくまプリマー新書)

世にも美しい日本語入門 (ちくまプリマー新書)

 

 

 まず安野光雅氏が藤原正彦氏の小学校時代の先生でいらっしゃったとは驚きである。画家と数学者、一見まったく別々のものとも思える世界の第一人者が語り合うとき、そこに共通のもの「美」があることも驚きだ。

 そういえば以前に森潔氏と小林秀雄氏の対談を書籍にまとめた『人間の建設』を読んだ時も同じような驚きを覚えたものである。数学者と文芸評論家がお互いの中に共通のものを察知し、すぐに打ち解けて話ができる。話す手段はもちろん言葉だが、言葉以前にお互いの中に共通のプラットフォームがある。それは哲学であったり、教養や知性であったり、審美眼であったりするわけだが、突きつめていうと、それぞれの分野が違えどそこにある普遍的なものを知るに至っているということなのだろう。その普遍的なものを共通言語として意思疎通が可能なのだ。思い切って言ってしまえば、その普遍的なものとは「美」である。

 では「美」とはなにであろうか。それは「人の心を揺さぶるもの」であって、安野氏はそれを”ミューズ”という言葉で表現していらっしゃる。”ミューズ”とはギリシャ神話に登場する芸術・学術の女神である。つまるところ芸術・学術の世界において普遍性を持つものは人の心を揺さぶる美しさを持っているということ。情けないことに私はこのあたりの感覚を上手く表現できないので、私の敬愛するグラフィックデザイナー・永井一正氏のホームページにある「デザインに対する想い」という文章を引用する。私はこの文章を読んだとき、宇宙の法則・摂理と芸術・学術の関係の関係が腑に落ち、それが何故美しいのかがわかったような気がしたのだ。

デザインに対する想い

良質なデザインは人間の五感、つまり視覚・触覚・嗅覚・味覚・聴覚が統合し、ある目的をもった「かたち」に収斂したもののように思う。これはデザインをする側も、それを受け使う側にも共通した感覚が自然に存在するからだと思う。宇宙の中から奇跡的に地球ができ、微生物が生まれ、そして生き物たちのひとつとして人間が誕生した。そこには何か宇宙の法則、摂理があり、それが地球の生態系としてあらゆる自然・生物に共通しているように思う。それはとても神秘的で不思議で美しい。デザイナーはそれぞれ何かをデザインする時に、自然にすでに存在している法則をみつけ、それを「かたち」にしていくことだと思う。コストや機能と同時に美しく魅力的でなければ摂理から生まれた結晶とはいえない。それぞれの役割を認識した上で、自然に共通した感覚を大切にしていきたい。

 

 

人間の建設 (新潮文庫)

人間の建設 (新潮文庫)