佐々陽太朗の日記

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『対訳 21世紀に生きる君たちへ』(司馬遼太郎:著/ドナルド・キーン:監訳/ロバート・ミンツァー:訳/朝日出版社)

2024/09/20

『対訳 21世紀に生きる君たちへ』(司馬遼太郎:著/ドナルド・キーン:監訳/ロバート・ミンツァー:訳/朝日出版社)を読んだ。といっても英語の訳文は読んでいない。見たところ平易な訳文にしてあり、辞書を引きながら日本語文と対比すればなるほどとなるだろうが、そんな面倒くさいことはする気がない。限られた一生、私もそれほど暇でも酔狂でもない。

 まずは出版社の紹介文を引く。

いつの時代になっても人間が生きていく上で欠かすことのできない心構えがある。
司馬遼太郎が小学校用教科書のために書き下ろした「21世紀に生きる君たちへ」「洪庵のたいまつ」
および小学国語編集趣意書「人間の荘厳さ」を対訳で収めた新しい時代への道しるべ。

 

 司馬遼太郎はこう言う。「私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、21世紀というものを見ることができないにちがいない」と。幸いにして私は老齢を迎えたとはいえ21世紀を生きている。司馬氏が我々に残した言葉を今、噛みしめて読めることをまず感謝したい。

 本書に書かれたことの中でいちばん私の心に響いたのは、自己を確立せよ、自分に厳しく、相手にはやさしく、たのもしくあれということ。氏はこうも言う。

 鎌倉時代の武士たちは、

「たのもしさ」ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格をもたねばならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。

 そのとおりだと思う。優しさと弱さとを混同してしまう昨今の風潮を良しとしない確固たる信念の現れだろう。弱者に寄り添うと称して、頑張らなくて良い、弱くても良いのよといった態度に、言いようのない気持ち悪さを感じるのは私だけだろうか。司馬氏はたのもしい自己を確立することを、いつの時代にも人間が生きていくうえで欠かすことのできない心構えだと説く。それは心の気高さでもあるだろう。

 司馬氏はこうした考えを「21世紀に生きる君たちへ」という文章に表したうえで、つぎに「洪庵のたいまつ」という文章で緒方洪庵の生涯を語る。「世のためにつくした人の一生ほど、美しいものはない」という最大限の賛辞を贈る。これまた、名声と金の獲得に明け暮れる昨今の風潮を憂えてのことだったのかもしれない。この章でのポイントは、洪庵が生まれつき体が弱く、病気がちな子どもであったこと。洪庵はそうしたハンデを蘭方医になるためのバネにした。ここでも司馬氏の言葉を引いておく。

人なみでない部分をもつこいうことは、すばらしいことなのである。そのことが、ものを考えるばねになる。

 小学生に対し、こうした道しるべを示した司馬氏に共感する。というか、50年以上前の小学生として、今さらながら学ばせていただいた。