佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

算法少女

4月2日

いったい、算法の世界ほどきびしく正しいものはありますまい。

どのように高貴な身分の人の研究でも、正しくない答えは正しくない。

じつにさわやかな学問です。

 

『算法少女』(遠藤寛子/著・ちくま学芸文庫)を読みました。

裏表紙の紹介文を引きます。

父・千葉桃三から算法の手ほどきを受けていた町娘あきは、ある日、観音さまに奉納された算額に誤りを見つけ声をあげた…。その出来事を聞き及んだ久留米藩主・有馬侯は、あきを姫君の算法指南役にしようとするが、騒動がもちあがる。上方算法に対抗心を燃やす関流の実力者・藤田貞資が、あきと同じ年頃の、関流を学ぶ娘と競わせることを画策。はたしてその結果は…。安永4(1775)年に刊行された和算書『算法少女』の成立をめぐる史実をていねいに拾いながら、豊かに色づけた少年少女むけ歴史小説の名作。江戸時代、いかに和算が庶民の間に広まっていたか、それを学ぶことがいかに歓びであったかを、いきいきと描き出す。

まず読み物として非常におもしろい。それだけでなく、物語を読むうちに算法(数学)というもののおもしろさ、奥深さに自然と気づくようにできており子供向けの小説として良書といえるだろう。もちろん大人が読んでもおもしろい。学問は実生活に役立てお金を儲ける助けにもなるが、それはあくまでも付帯的結果である。人間は本来、真理を追い求め、少しでもそれに迫りたいと希求する存在である。人は常に真理に飢え学問を修める。その一番根源的な姿がこの本に描かれている。つまり、知的好奇心を満たすことは「この世とは別世界のような楽しみを持つこと」すなわち「壺中の天」(こちゅうのてん)なのだと。

主人公が一介の町医者の子供であること、それも封建時代における女であることがこの物語を面白くしているといえるだろう。身分が低く、取るに足りないものとして扱われる市井の者が、身分の高い武士や権威を振りかざす学者の鼻をあかす。それも物事の中心は江戸だとふんぞり返り、上方のものを歯牙にもかけない態度の江戸人を上方の学問が打ち負かす痛快さは『王将』の坂田三吉にも似たものがあり、私のような庶民はやんややんやの拍手を送るのである。

ちなみに『算法少女』という書物はこの小説以外に同じ題名で実在しているらしい。安永4年(1775年)に刊行され、現在では国立国会図書館に収められているようである。著者は「壺中隠者」となのる父とその娘。著者「壺中隠者」の正体については長く不詳のままだったが、後に数学史家・三上義夫の研究によって医師千葉桃三であることが明らかになったようだ。遠藤寛子氏の小説はこの史実に基づいて書かれている。

 

算法少女 (ちくま学芸文庫)

遠藤 寛子

筑摩書房

発売日:2006-08

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