佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

母の影

2011/5/27

 

『母の影』(北杜夫/著・新潮文庫

 

 

確か中学三年の頃、作文の時間に国語の先生が生徒に作文をやらせず、漱石の「夢十夜」の中の二、三篇を読んでくれたことがある。それはごく面白く思われた。そこで図書館へ行って、「夢十夜」の残りを読んだ。ついでに「草枕」を読み、冒頭の文章を何たる名文かと感心した。のちになって読み返してみると、あれはいわゆる美文である。いささか鼻につくが、良き美文である。それに比べて「虞美人草」は悪しき美文で、偉大であった漱石の作品の中で、もっともくだらないものだと私は思っている。
                                                 (本書95Pより)


 

『母の影』(北杜夫/著・新潮文庫)を読みました。参加している読書会「四金会」の五月の課題本です。


裏表紙の紹介文を引きます。


青山にある大病院の娘に生れ、斎藤茂吉と結婚した輝子。お嬢様として育ち気丈で破天荒な性格の彼女と、癇癪もちでワンマンな茂吉が、夫婦として折り合うはずもない。家にはいつも嵐が吹き荒れ、四人の子らは右往左往。そんな斎藤家の次男である著者が幼少時代の記憶を辿り、文学にめざめた頃を反芻しつつ、母への愛惜、父への尊敬、そして二人の死を綴る。追慕溢れる自伝的小説。



私は短歌について詳しいことを知りません。そもそも短歌に限らず文学というものを体系立てて学問的に追究したことなど無く、本を読むのはただただおもしろい話を読みたい、感動したいといった娯楽のためです。従って、北杜夫が「どくとるマンボウ」だと知っていても、斎藤茂吉の息子であったことは知らなかったし、斎藤茂吉アララギ派歌人であったことを受験勉強の知識として知ってはいても、アララギ派の何たるかを知らず、茂吉の歌の一首も諳んじることはできない。そういえば今ふと気づいたのだが、「短歌」と「和歌」は同じものなのか、違うとすれば何処が違うのか、そうしたことすら知らないのである。無知蒙昧の誹りを免れないであろう。
本書は斎藤茂吉という偉大な歌人を父に持ち、輝子という猛女(?)を母に持った子供として、その家族を追想した自伝である。歌人としては立派であっても、一緒に住むと息が詰まりしんどくなるような存在の父、世に「ダンスホール事件」と称される不祥事の当事者の母、このような普通ではない両親を持った運命に翻弄されながらも、父を歌人として尊敬し母を思慕する己を書きつづっている。
それにしても北氏の母上はキョーレツです。男尊女卑の風潮が強い大正から昭和初期にかけてこのような破天荒な行動がとれるとはあっぱれとしか言いようがない。