佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

神様がくれた弱さとほほえみ

 『神様がくれた弱さとほほえみ』(西村隆/著・フォレストブックス)を読みました。今月の読書会「四金会」の課題書である。

 

 

 37歳という人生の最盛期に不治の病ALSに罹ってしまわれた西村隆氏の20編の手記です。

 どうも落ち着かない。困ったことです。この本はフィクションではない。物語として加工もされていない生の手記である。

 何故、落ち着かないのか。なんだかどういう態度を取って良いのか解らないのだ。こうした手記を読んで、あるいは不治の病に罹った人や重度の障害を持つ人を目の前にしたときに、真っ先に感じるのは同情の念である。おそらくはその方たちは同情の目差しでみられることを快く思っていらっしゃらない。私が逆の立場ならそうだ。そう解っていながら、同情の念を禁じ得ないのだ。もちろん深い考えがあってのことではない。単に多くの人が当たり前に出来ていることが出来ないのはさぞかし辛いだろう、気の毒だという思いがあるだけだ。その方々が、その病気ゆえ、障害ゆえに健常者(適切な表現がみつからないのでこう表現しますが)が到達し得ない高みに達していらっしゃるか、あるいは人生の楽しみや意義を見いだしていらっしゃるかといったことなどに全く思いが至らない浅はかな考えというほかない。
 おそらく私はその方々と今の私とを比べて、自分でなくてよかったと思っている私の内なる気持ちに気づき、そんな自分を恥じ入っているのだ。そのくせ、そう思う自分の邪な部分を直視せず、自分を良い人間と思いこみたい誤魔化しの故に落ち着かないのだ。
 ALSという病を得た西村氏の境遇に救いはない。不治の病、それを治す手だてを我々は手にしていないのだから。救いがあるとすれば、西村氏が自らの運命を受け入れ「人生の目的は、健康で長生きすることではありません」(P46)という境地に達せられたことであろう。かといって、私は今なおそれを良しとは言えないのである。いつか心から西村氏の境地を理解する日が来るのだろうか……。