佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

光媒の花

「幸ってのはしかし、いい名前ですね」

「・・・・・・そうでしょうか」

 一度もそんなふうに思ったことはない。なんて自分に似合わないのだろうと、わたしはこの名前をずっと嫌っていたのだ。

「いい名前ですとも」

 少し大げさなくらい、牧川は深々とうなづく。

「昔、本で読んだことがあるんです。なんでも『幸』って字は、もともと手首を上と下から手枷で挟み込んだことを表す象形文字だったんそうですね」

 指先で空中に文字を書き、牧川は私が知らなかったことを教えてくれた。

「それが後に、刑罰から逃れたという意味になって、やがては幸運そのものを指すようになったんだとか。ほら、なんだかとても、広々としたイメージのある文字だと思いませんか?」

                            (本書P152「春の蝶」より抜粋)

 

 『光媒の花』(道尾秀介・著/集英社文庫)を読みました。

 

 

 道尾氏の小説は二年以上前に一冊だけ読んだことがあり、それっきりでした。その小説は『向日葵の咲かない夏』で、これがもうどうにも救いのない小説なのです。ミステリとしての評価は高く、多くの人に読まれ、多くの人の賞賛も集めているのですが、私にはまったく合わない小説でした。

    http://hyocom.jp/blog/blog.php?key=119042 

 道尾氏の小説の持つ「毒」にあてられて、

「もうええわぁ、ワシはもう二度とこの人の書く小説は読まへん」

 と思ったのです。

 「読書メーター」というサイトでもそのようなレビューを載せたところ、mihoさんという方から『光媒の花』をぜひ読んでみてくださいと薦めていただいたのです。この小説がきっと中和剤になりますとのことでした。すぐにも読めば良かったのですが、先月、文庫本が発刊されたのを機に読ませていただきました。この小説をお薦めいただいたmihoさんに心から感謝します。

 さて、読んでいて常に私の頭の中にあったのは「身の上」という言葉です。その人の生まれた家、親、家庭を取り巻く環境、人との出会い、そうしたものがその人の運命としてその人の人生に波紋を投げかける。もちろんその波にあらがうことは可能でしょう。しかし、完全に波の影響から逃れることなど出来はしないのです。「身の上」とはそうしたものなのだろうと思います。 

 前半はやりきれない哀しみが胸につかえて、本を放り出してそれから逃れたくなりました。やはり道尾氏の小説には「毒」というか「黒」というか、とにかくそういうものがあります。しかし同時に道尾氏の小説にはそれをさせない何かがあるのも事実です。鋭利な文章、意外な事実、心の奥底に隠れているものを覗き見るような感覚があるのです。特にこの小説には琴線に触れる何かがあり、寸暇を惜しんで本を開き頁を捲ることになった。

 本書には六編の短編が収められている。伊坂幸太郎の『チルドレン』がそうであったが、それぞれの物語がどこかで繋がっている構成になっている。そのすべてに共通する空気は「哀しみ」だ。そして前半に置かれた小説のやりきれなさが後半に置かれた小説では少しずつ温かみを帯びてくる。哀しみの先にあるかすかな光、その光がさした時、慎ましやかな花が咲く。道尾氏はそんなイメージを『光媒の花』という題名に込めたのではないか。

 

最後に出版社の紹介文を引きます。


一匹の白い蝶がそっと見守るのは、光と影に満ちた人間の世界――。認知症の母とひっそり暮らす男の、遠い夏の秘密。幼い兄妹が、小さな手で犯した闇夜の罪。心通わせた少女のため、少年が口にした淡い約束……。心の奥に押し込めた、冷たい哀しみの風景を、やがて暖かな光が包み込んでいく。すべてが繋がり合うような、儚くも美しい世界を描いた全6章の連作群像劇。第23回山本周五郎賞受賞作。