佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

令和の朝、「湯宿さか本」にて

 令和の朝は鶏の鳴き声で目覚めた。まだ朝も4時頃であるが目覚めは心地よい。というのもここは「湯宿 さか本」の一室、昨夜は滋味にあふれた心づくしの料理と地酒をいただき、幸せな気分でぐっすりやすんだからである。テレビなどという無粋なものは置かない宿で、照明も陰翳を大切にした控えめなものだけに、余計なことはせずぐっすり寝たのだ。夜明け前、障子ごしに差し込む光が徐々に明るくなってきているとはいえ、未だうす暗い。つれ合いや他の泊まり客の眠りを妨げないよう物音を立てないように気をつけながらそっと行灯の灯を付け本を読む。この旅に持参したのは『室町無頼』(垣根涼介・著/新潮文庫)。隆慶一郎を彷彿させる剣豪小説。滅法おもしろい。

 夜明けを待って庭に散歩に出た。湿り気を帯びた空気がおいしい。おそらくヤマガラであろうと思うが、かわいい小鳥が木々を渡ってさえずっているすがたを見ることができた。おそらく木についた虫を食べているのだろう。人間より一足早い朝ごはんである。私も腹が減った。今朝は各氏に賞賛される朝ごはんを食べることができる。まちどおしい。

 朝餉は8時に供される。まず揚げたてほかほかの「ひろうす」が出て来た。「飛竜頭(ひりょうず)」というのが一般的かもしれないが我が家では親から「ひろうす」と教わってきた。関西では飛竜頭の呼び名が一般的だと思っていたのだが、意外なことに京都住まいの若い女性二人は「がんもどき」と言っていた。今はもう関東風の「がんも」と呼び習わすことが一般的になってしまったのだと気づく。桜エビが香ばしい。揚げ油が良いのでしょう。そのままでおいしい。

 筍ごはんに味噌汁。この味噌汁のおいしさは衝撃です。豆腐と海藻の具の味噌汁が大ぶりの器に入って供されたが、ごはんだけでなく味噌汁もおかわりしたのは私だけではなかった。塗りの器もこうして色をそろえるときれいだ。具の海藻はおそらく能登産の「かじめ」だろう。ぬるっとして味がよい。

 茶碗蒸し。つれ合いはこんなおいしい茶碗蒸しを食べたことがないと言った。私も同感。

 もっとも感動したのは煮しめ。「こんにゃく」「焼き豆腐」「人参」「ぜんまい」と材料は月並みだが味がちがう。それこそこんなおいしい煮しめを食べたことがない。出汁がよいだけではない。おそらくしっかり煮しめるための時間をたっぷりかけている。ありきたりにみえるものに、みえないところで手間暇をかけているということか。月並みな言葉だが「感動」した。

 漬物も味付けでごまかしたような市販のものではない。きちんと発酵させたものだとわかる。私の胃と腸が喜んでいる。

 あるいは質素と言ってもよい朝餉である。田舎料理でもある。しかしそれはけっして悪い意味ではない。野暮に流れず、雅でもなく、洗練されているのだ。そこがカッコイイ。

 たまたま今日、元号が変わった。しかし変化はそれだけではない。私の中で何かが変わったと思える。薄ぼんやりとしていた価値観がはっきりと実態をもって確信に至ったといっていい。ほんとうに良いものに出会えた僥倖。令和を迎えるにふさわしい朝となった。感謝。