佐々陽太朗の日記

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『虚けの舞』(伊藤潤:著/幻冬舎時代小説文庫)

2022/06/20

『虚けの舞』(伊藤潤:著/幻冬舎時代小説文庫)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

天下人となった豊臣秀吉によって、すべてを奪われた織田信長の次男・信雄、関東の覇者を誇る家門を滅ぼされた北条氏規。二人は秀吉に臣従し、やがて朝鮮出兵の前線である肥前名護屋に赴く。その胸中に去来する思いとは何だったのか?屈辱を押し殺し苛烈な時代を生き抜こうとした落魄者の流転の日々を哀歓鮮やかに描ききる感動の歴史小説

 

 

 歴史小説、それも戦国ものとなれば主人公はヒーローとして描かれるのが常道。この場合、ヒーローは必ずしも勝者ではない。判官贔屓とよく言われる我々日本人の精神性ゆえか、歴史上敗れ去った者もまたヒーローとなる。たとえ敗者であっても賞賛に値する行為を行った者であれば小説の主人公たり得るのだ。要するに小説の主人公はすごい男(あるいは女)なのだ。と、思っていた。ところがどうだ。本書の主人公は織田信雄北条氏規織田信雄がかの織田信長の子だということは知っている。しかしすごい男だったのだろうか? 北条氏規に至っては北条盛時(早雲)を初代とし、氏綱、氏康、等々代々数ある「北条 氏X」の中の誰だっけ、と系図をあたらなければわからない人物である。この二人、信雄も氏規も落魄の身である。特に信雄はそのダメダメぶりが目立つ。

 この二人に我々が好みカッコイイと思う”滅びの美学”はない。”滅びの美学”とは何か。少々乱暴かもしれないが私はそれを「たとえ死が訪れようとも最後まで己の信念を貫き、一歩も引かぬ覚悟と矜持」と表現したい。この物語にはそれが無いのだ。あるのは絶対権力者の秀吉にひれ伏し、妥協し、生き残りを図る姿である。読みながら何度「みっともなく生きるくらいなら、誇りある死を」と思ったことか。おそらく信雄も氏規も秀吉から理不尽で屈辱的な扱いを受ける度、何度もそう思い迷ったに違いない。しかし彼らは生き延びる道を選んだ。織田の血を、北条の血を残す道を。

 伊藤潤氏はそんな二人を主人公に物語を書くことで、ただヒロイズムで読者を酔わせる列伝ではなく、人間の心情、心の襞を描くことに成功している。小説として成功したと言えるのではないか。こんな風な戦国ものがあったのか。まさに目から鱗であった。