佐々陽太朗の日記

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『菜根譚』(湯浅邦弘:著/角川ソフィア文庫)

2023/04/26

菜根譚』(湯浅邦弘:著/角川ソフィア文庫)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

菜根譚』は、『論語』とならび各界のリーダーたちが座右の銘としてきた処世訓の最高傑作。「一歩を譲る」「人にやさしく己に厳しく」など、人づきあいの極意、治世に応じた生き方、人間の器の磨き方を明快に説く。人生において思いがけない逆境に立ち向かうとき、自分の支えとなる言葉として、現代人の心に響く名言を精選。簡潔な現代語訳、総ルビの訓読文と理解の助けとなるわかりやすい解説を加えた、初心者に最適な入門書。

 

 

 読書会仲間のT氏の推し本。

菜根譚』の著者は洪応明(こうおうめい)。浅名は自誠(じせい)。「こうおうめい」「こうじせい」とPCで仮名漢字変換しても、辞書にないらしく一発変換できない。Web検索するとさすがに情報が得られるが、詳しい経歴は不明だという。おおよそ明代末期頃の人だと考えられるとのことで、若い頃科挙の試験に合格して官界に進んだが中途で退き、もっぱら道教と仏教の研究に勤しんだとされるとウィキペディアにはある。

 最初に本書『菜根譚』と洪自誠に関する著者の解説があるのだが、そこに「前集210」に書かれたことが引かれている。
  士大夫、居官不可竿牘無節。
  要使人難見、以杜倖端。
  居郷不可崕岸太高。
  要使人易見、以敦旧交。

「士大夫(しだいふ)官(かん)に居(お)りては、竿牘(かんとう)も節(せつ)無かるべからず。人(ひと)をして見(み)難(がた)からしめ、以(もっ)て倖端(こうたん)を杜(ふき)がんことを要(よう)す。郷(ごう)に居(お)りては、崕岸(がいがん)太(はなは)だ高(たか)くすべからず。人(ひと)をして見(み)易(やす)からしめ、以(もっ)て旧交(きゅうこう)を敦(あつ)くせんことを要(よう)す」

「士大夫たるものは、官職に就いているときには、手紙のやりとりにも節度がなければならない。それは他人に心を見透かされ、突け込まれる隙を与えないようにするためだ。また、公職や官職を終わって地元に戻ってからは、お高く留まって偉そうにしてはならない。それは他人からわかりやすくして、旧交を温めるようにしなければならないからだ」

 このことから中央で役所勤めをしたエリートで、勤めを辞してからは田舎に帰ってきた知識人といった洪自誠の人物像が想像できる。仕事を引退して自由に暮らしている私にしっくりくる言葉であります。それ以上に、未だ『菜根譚』を読まないうちから、これに書かれたことがきっと自分の考えに合う、自分の生きかたに参考になるに違いないと確信めいたものを感じたのは「節度」という言葉がでてきたからです。それは、今年はじめに読んだ福田恆存氏の『私の幸福論』に通じるところがあったからに他なりません。福田氏はエリオットの言葉を引いて文化とは「生きかた」であるといい、そして「生きかた」を「うまを合わせていく方法」定義し、「節度」と言い換えました。私はそれこそが保守の心であり生きる態度だと感じました。おそらく本書『菜根譚』にも美しく生きるための「態度」が書かれているに違いないと思ったのです。

jhon-wells.hatenablog.com

 

 そして本書を読み終えてたいへん満足している。人が幸福に美しく暮らしていくための態度が存分に語られており、そのほぼすべてに同意できるものであった。先に「節度」というキーワードを指摘したが、その他の態度として『菜根譚』を貫いているのは「中庸」あるいは「五分」という考え方である。やわらかく「ほどほど」「頃合い」と表現すればわかりやすい。

 私も「節度」「中庸」を心がけてはいる。しかしこれがなかなか難しい。ついつい考えが先鋭化し、感情が激し、過ぎてしまう嫌いがある。なかなか淡泊になれないのである。そんな私がただひとつ、これは出来たのではないかと思うのは前集154に書かれた次のことである。

  謝事当謝於正盛之時、居身宜居於独後之地。
  謹徳須謹於至微之事、施恩務施於不報之人。

「事を謝(しゃ)するは、当(まさ)に正盛(せいせい)の時に謝(しゃ)すべし。身を居(お)くは宜しく独(ひと)り後(おく)るるの地に居(お)くべし」

「事業を辞して引退するのは、まさに最も盛んなときにこそ退くべきである。自分の身の置き場所、他人より一歩さがった所に置くのが良い」

 これです。3年前に職を辞したのはまさにこれだと胸を張ってしまいました。ただ、私の場合、そんな高尚な心を持ってしたのではなく、仕事を辞めて自由な時間が欲しいといったナマケモノの考えだっただけですけれど。