佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

銀天公社の偽月

水路に出ると丁度正面に銀天公社の人工月が見えた。激しい脂雨の中で朧に霞み、今日もしずかにやわらかい色の月だ。                      (本書P52より)

銀天公社の偽月 (新潮文庫)

銀天公社の偽月 (新潮文庫)

『銀天公社の偽月』(椎名誠/著・新潮文庫)を読み終えました。

裏表紙の紹介文を引きます。

脂まじりの雨が降る街を、巨大でいびつな銀色の月が照らしだす。銀天公社の作業員が、この人工の月を浮かべるために、月に添って動くゴンドラで働いている。そこは知り玉が常に監視し、古式怪獣滑騙が咆哮する世界だ。過去なのか、未来なのか、それとも違う宇宙なのか?あなたかもしれない誰かの日常を、妖しい言葉で語る不思議な7編。シーナ的言語炸裂の朧夜脂雨的戦闘世界。

解らない。出てくるもの、現象、いろいろなものが初めて聞く名前で登場する。例えば P11の一節。

ここから家に帰るには二通りのルートがある。少し遠回りになるが、散歩がてら万治郎用水の土手道を歩いてゆくのが私は好きだった。けれどこの用水も近頃は戦祝川と名称変更し、色縞(しきしま)流れになっている。上流の緊褌(きんこん)池から断念堰(ぜき)までの七キロの区間に袷紺青(あわせこんじょう)の塗料を流し、いくつもの濃度のちがう緑と青と薄赤の縞流れをつくっている。同時にそこにギザ魚や淡水鱧などの回収魚を流し、七キロ下の断念堰の網梁でそれらを生け捕って回収してはまた上流に戻して色縞流れに放す。見ているぶんには賑やかな祝い川そのものの風景なのだが、本当の命には乏しく、ギザ魚も淡水鱧も格好ばかりのつくりもので、鱗皮(りんぴ)の内側はするべ肉のくねくね機構がついている木偶(でく)にすぎない。

たったこれだけの文章の中に「色縞流れ」「袷紺青」「ギザ魚」「淡水鱧」「回収魚」「祝い川」「鱗皮」「するべ肉」「くねくね機構」と新語?がいきなり出てくると「何だ?これは」ということになり、混乱してしまう。しかし、字面からなんとなくそのもののイメージ、色、形、面妖なる佇まいがそこはかとなく漂ってくる。そして読み進めるうちに、我々読者はいつしかシーナ・ワールドを彷徨っている。
で、この本の評価なのですが、微妙・・・です。ただ一つ言えるのは「この小説は他国語に翻訳できない」ということ。何とかなりそうなのは漢字という表意文字を持つ中国語のみ。他の言語への翻訳は不可能だろう。小説が読者に何かを伝えるものだとするならば、翻訳不能ということは小説であるための必要条件を満たしていないのではと疑問を禁じ得ない。この小説は例えるならば「抽象画」のような小説で、良いと思えば良いのだが、感性が合わなければ最悪という評価になる。

シーナさんのSF小説(いや超常小説といった方が適切か)は『アド・バード』『武装島田倉庫』『水域』『雨がやんだら』『ねじのかいてん』『胃袋を買いに。』『地下生活者』『中国の鳥人』そして本書と読んできたが、これほど異様な世界を持つ椎名氏と「怪しい探検隊シリーズ」その他ハートウォームなエッセイを書くシーナさんが同居することが驚異である。一つの頭の中にこのように異質な世界が同居するのはおそらく天才か狂人ということだろう。私はシーナさんのエッセイの熱烈な支持者であり、シーナさんを狂人扱いすることなど絶対にできない。怪しいといえば怪しいのだが、シーナさんは天才だと私は言いたい。