佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』(万城目学・著/角川文庫)

『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』(万城目学・著/角川文庫)を読みました。

まずは出版社の紹介文を引きます。

かのこちゃんは小学1年生の女の子。玄三郎はかのこちゃんの家の年老いた柴犬。マドレーヌ夫人は外国語を話せるアカトラの猫。ゲリラ豪雨が襲ったある日、玄三郎の犬小屋にマドレーヌ夫人が逃げこんできて…。元気なかのこちゃんの活躍、気高いマドレーヌ夫人の冒険、この世の不思議、うれしい出会い、いつか訪れる別れ。誰もが通り過ぎた日々が、キラキラした輝きとともに蘇り、やがて静かな余韻が心の奥底に染みわたる。 

 

かのこちゃんとマドレーヌ夫人 (角川文庫)
 

 

 どうしても私は万城目学氏と森見登美彦氏を対をなしてとらえてしまう。万城目氏が1976年生まれ、森見氏が1979年生まれで、お二人とも京都大学出身の作家でファンタスティックなものを書かれるということで、私の脳の中の近いところで認識されているものと思う。森見氏が『ペンギン・ハイウェイ』を上梓したのが2010年5月のこと、万城目氏の本作の上梓は2010年1月のことであった。ペンギン・ハイウェイ』の主人公アオヤマ君は小学四年生にして「他人に負けるのは恥ずかしいことではないが、昨日の自分に負けるのは恥ずかしいことだ」などと宣い、毎日ノートをたくさん書く見どころのある少年だった。片や本作の主人公かのこちゃんは小学校一年生の女の子。この子が好きな言葉は「いかんせん」「ほとほと」「やおら」「たまさか」「刎頸の友」だというのだから、こちらもなかなか見どころのある少女なのだ。なんとなく似ていると思うのである。違いを感じるのはアオヤマ君が歯医者のお姉さんに対し微かな恋心を抱きおっぱいに興味を持ち始めていることに対して、かのこちゃんにはまだそうした兆候はない。だがそれも単なる年齢差に過ぎないのだろう。お二人がほぼ同じ時期に少年少女を主人公としたファンタジーを書かれたことに何か意味があるのだろうか、ひょっとしてウラに何らかの策略が? そのことについて私は何の情報も推論も持たない。

 本作『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』と『ペンギン・ハイウェイ』によって、さらに私の脳内で万城目氏と森見氏は近くに棲むことになったのだが、お二人が、あるいはお二人が描く世界が全く似ているわけではない。むしろ本質的な違いがあると感じている。上手くいえないが私の中で万城目氏の小説は「健康・健全」で、森見氏のそれは決して不健康・不健全なわけではないが「どこか病んでいる」のだ。「屈折している」といっても良いかもしれない。それが森見氏の小説の魅力でもある。

 さて、『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』である。簡潔に言ってしまえば「小学校に上がりたての少女が、親友といえるほどの少女との出会いと別れ(転校)を通じて成長する物語」となる。ともすればありきたりな児童文学になりかねない話を、飼い犬とその犬と同居することになった猫との愛情物語と同時進行させるという力業によって、会をテーマとした少女の成長物語に変えてしまっている。万城目氏らしい奔放な書きぶりです。上手いっ!