本日の厨房男子。
蕎麦を打ちました。
形状は蕎麦というよりきしめん。
これから伸びしろが大きい腕前です。
精進します。
私、蕎麦打ちの腕前はまだまだですが
「そば前」を楽しむのはすでに一流です。
アテは蕗、山芋、新タマネギの天ぷら。
本日の酒は「竹泉醇辛 槽口直詰 生」。
酒も一流。
本日の厨房男子。
蕎麦を打ちました。
形状は蕎麦というよりきしめん。
これから伸びしろが大きい腕前です。
精進します。
私、蕎麦打ちの腕前はまだまだですが
「そば前」を楽しむのはすでに一流です。
アテは蕗、山芋、新タマネギの天ぷら。
本日の酒は「竹泉醇辛 槽口直詰 生」。
酒も一流。
『知識ゼロからのそば入門』(鵜飼良平・著/幻冬舎)を読みました。
まずは出版社の紹介文を引きます。
そばの「三たて」とは、「挽きたて」「打ちたて」「ゆでたて」のことで、旨いそばの条件。「打ちたて」は、すぐというわけではなく“1時間以上、2時間以内が美味”との意見もある。しかし「ゆでたて」には誰も異論はない。清廉で潔いそばの醍醐味を、ゆでたてで。
蕎麦を自分で打ってみようと思い立ち、とりあえず蕎麦のことをあれこれ知ろうということで読みました。蕎麦は数年前に一度だけ打ったことがあります。その時は先生の仰るとおりやりましたので、とりあえず食べることが出来るだけには仕上がりました。ただし見た目は相当悪かったです。とはいえ、粉を用意していただき、そばつゆも用意していただいたとあっては、とても自前の蕎麦とはいえません。全て自前でやってこそ胸をはって蕎麦を打ったと言えるはず。
蕎麦の語源から、蕎麦の種類、打ち方、食い方(たぐり方)、その他雑学のたぐいまで一通りのことを学べました。著者は「上野藪そば」の三代目ご主人。蕎麦を極めた著者から、1時間ばかり蕎麦に関する蘊蓄をご教授いただいた気分。
さて、蕎麦を打つとするか。
昨日はとびしま海道をサイクリングした我々だが、呉市に宿泊し、本日は音戸、倉橋島、能美島、江田島をめぐることにした。
朝食を森田食堂でとることに決めていたのだが、突然の臨時休業。残念だが仕方がない。コンビニでおにぎりを買って景色のよいところで食べることにした。
音戸ノ瀬戸。狭い海峡を船が行き来する。手前が第二音戸大橋。奥が音戸大橋。
音戸大橋を渡ろうかとも考えたのですが、少々危険を伴いそうなので第二音戸大橋を渡ることにしました。第二音戸大橋は車道とセパレートした広い歩道がついている。大切なつれ合いと息子に危ないことはさせられない。橋からの眺望をゆっくりと楽しむことが出来たので、サイクリング・コースとしてはこちらがおすすめ。
音戸町では牡蠣の養殖が盛んな様子。景色も素晴らしい。
能美島から江田島へ入り、海上自衛隊第一術科学校を訪れました。旧海軍兵学校ですね。九〇分間の見学ツアーもあるのですが、時間の都合で我々は昼食のみとしました。昼食はもちろん海軍カレー。
海上自衛隊第一術科学校から東へ2㎞ほど走ると小用港に出ます。ここから呉まではフェリーに乗ると二〇分で着きます。大人390円+自転車120円で乗せてくれます。瀬戸内島嶼部をめぐるサイクリングでは、船を使うのも楽しい。
呉に到着後は大和ミュージアムを見学。ちょうど「海底の戦艦大和」という企画展をやっていました。ここには何度も足を運んだが、毎回、目頭が熱くなります。
大和ミュージアムを見学し終えた我々は呉駅に戻った。17:00になっており、お腹が空いたので呉らしいものを食べようと思い細うどんの店を探した。駅の東にある「りゅう」という店に入った。ここには海軍カレーもいろいろあったが、それは本場で食べてきたのでパス。何を食べるか迷ったがメニューに「呉冷麺」とあるのを見つけ、それに決めた。夏を思わせるほど暑い日だったのでちょうどよかった。ワンタン入りでなかなか旨かった。
とびしま海道サイクリングの後は呉阪急ホテルに投宿。
おいしい居酒屋を探しに町にくり出しました。
GWということで閉まっている店が多く、事前に調べていた処には行けませんでしたが、なんとか良さそうな店を見つけました。
「第一 三とり」
一なのか三なのかよく分からない名前です。入ってみて焼き鳥が売りなのか、活魚が売りなのかも分からない。しかし、それがなかなかよい。
要するに焼き鳥屋にして魚が旨い居酒屋なのだ。すばらしいのだ。それでいいのだ。
生ビールを二杯飲んだ後、酒に切り替え「富久長 純米吟醸」と「雨後の月 純米吟醸」をいただきました。
鶏皮の味噌煮込み、カワハギの煮付け、メバルの煮付け、小イワシの天ぷら、焼き鳥を食す。すべて旨かった。
帰り道「どん底」に寄ってみた。閉まっていた。お母さんはお元気なのだろうか。気になる。
〆にホテル近くの平和園に寄り、餃子をアテにさらに生ビールを飲み、塩ラーメンを食す。大満足。
『愛の領分』(藤田宜永・著/文春文庫)を読みました。
まずは出版社の紹介文を引きます。
過去の事実が二人の情愛をより秘密めいたものにする。
仕立屋の淳蔵はかつての親友夫婦に招かれ三十五年ぶりに訪れた故郷で出会った佳世と齢の差を超えて魅かれ合うが。直木賞受賞作
いやぁ、まいりました。醜いものを読んでしまいました。歳をとってからの愛憎劇なんてもの、あまり読むものじゃあありませんね。生々しすぎて、なんだか体にべっとり汗がまとわりついてしまったような気分になり、風呂に入り直したくなりましたよ。とはいえ一気読みでした。読ませるだけのものはあります。ただ私は今の気分を引きずるのはまっぴら御免です。藤田氏の伝説の青春冒険活劇『鋼鉄の騎士』を読んで口直しをするとしましょう。ただこれが上巻757P、下巻740Pというとてつもない超大作なんですね。これまた別の意味で重い。よしっ! 口直しは軽さを求めて森見登美彦氏の『有頂天家族 二代目の帰朝』を読むとしよう。なんか、ハチャメチャ?
4月の読書メーター
読んだ本の数:7
読んだページ数:1389
ナイス数:707
寺山修司詩集 (ハルキ文庫)の感想
私にとっての寺山修司は「五月の詩」「幸せが遠すぎたら」です。短歌でも、俳句でも、歌謡曲でも、戯曲でもなく、これら2編の詩です。 彼は実に多様な顔を見せていた。詩人、編集者、歌人、俳人、戯曲作家、映画監督、脚本家、ルポ・ライター、小説家、エッセイスト、演出家、放送作家、作詞家、競馬評論家、劇団主催者、コメンテーター、あらゆる見られ方を許した昭和のアジテーターであった。その顔のひとつがこれら2編の詩に垣間見える。みずみずしい若さと傷つきやすさ、これこそが彼の本質なのではないかと思う。
読了日:04月29日 著者:寺山 修司
みんな酒場で大きくなった (河出文庫)の感想
角野卓造氏との東西居酒屋番付談義、川上弘美氏が語る文章が「夜中の恋文」になってしまわないための推敲方法、東海林さだお氏に対するひとり居酒屋指南、太田氏の椎名誠氏へのあこがれ、大沢在昌氏と北方謙三氏との友情、成田一徹氏との銀座のバー談義、全てが楽しい。私にとって本書の登場人物は憧れの存在であり、酒の飲み方のお手本だ。久しぶりに北方謙三を読むか。いや藤田宜永がいいか。ひとり居酒屋で余計なことをしゃべらず、唯々本を読む。なんてハードボイルド!
読了日:04月25日 著者:太田 和彦
吉田類の土佐酒moreの感想
高知駅で売っていたの思わず買ってしまった。ぱらぱらっと頁をめくってみると、吉田さんがはちきんと一緒に酒を飲んでいるではないか、そのうえ土佐の酒蔵をめぐり蔵の特徴を解説し酒を紹介しているではないか。これは読むしかあるまいと即時購入。惜しむらくは、土佐に18ある酒蔵のうち9蔵しか紹介されなかった点。まあ厳選十八本と銘打って紹介された酒は十八蔵すべて揃っていたので許しましょう。
読了日:04月22日 著者:吉田類,高知新聞総合印刷
高知居酒屋辞典の感想
昨夜、第17回土佐新酒の会で浴びるほど酒を飲み、ひろめ市場で「やいろ亭」の塩たたきをアテに「南」を飲んだ。さらにおびや町小路の「たに志」でイタドリをアテにさらに酒を飲み、〆はシラス茶漬であった。ページをパラパラめくると「やいろ亭」も「たに志」も紹介されている。私の選択は間違っていなかったのだ。次に高知を訪れたときは「千松」(せんしょう)のクジラ料理にしよう。よし、決めた!
読了日:04月22日 著者:
なぜ私は左翼と戦うのかの感想
現下の我が国の状況で、これだけストレートにご自分の意見を述べられたことにまず敬意を表したい。というのもこれを読んだ左翼系似非知識階級はきっと杉田氏に矛先を向けるに違いないからである。たとえどのような誹謗中傷攻撃に遭おうとも、間違いは間違い、正しいことは正しいと云う杉田氏が清々しい。彼女が敢えて夫婦同姓は家庭の基本であるとか、男女平等は実現し得ないと云い、共産党や民進党・蓮舫氏を批判するのは現下の情勢を憂えてのこと。火中に身を投じても正しいことを伝えたいという一心からだろう。
読了日:04月21日 著者:杉田水脈
ぶらり京都しあわせ歩き (京都しあわせ倶楽部)の感想
「しあわせ」とは心のありようである。同じ道を歩き、同じ景色を観て、同じものを食べても、「しあわせ」を感じる人とそうでない人がいる。そういうことだ。その良さが分かると云うこと、その味わいが分かると云うこと、そこにはその人の感受性とモノや出来事に対する深い造詣が関わってくる。つまりはたしなみが必要だということだ。書籍はそうしたたしなみを身につけるためのアーカイブの役割を担ってくれる。柏井氏の旅モノ本を携えて旅に出よう。「しあわせ」はそこにあるはずだ。
読了日:04月20日 著者:柏井 壽
凶器は壊れた黒の叫び (新潮文庫nex)の感想
何かを得るためには何かを捨てざるを得ない、そんなことはいっぱしの大人ならば解りきったことだ。人はすこしずつ何かを捨て去りながら年を重ねる。このシリーズに登場する若者は皆、純粋で真っ直ぐだ。それゆえ、捨て去られた自分が己に対すして持つ憐憫は痛々しいほどだ。成長すると云うことが「弱い自分や間違った自分を捨て去る」ことだとすれば、どうしてそのままの自分ではいけないのかと思い悩む。その青さ、感傷がこの小説シリーズの魅力である。たまらない。どうしようもなく、私はこの小説シリーズに出会ってしまった。続編希望。
読了日:04月13日 著者:河野 裕
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