佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

天平の甍

5月25日

天平の甍

天平の甍』(井上靖/著・新潮文庫)を読み終えました。

IMG_2406

裏表紙の紹介文を引きます。

天平の昔、荒れ狂う大海を越えて唐に留学した若い僧たちがあった。故国の便りもなく、無事な生還も期しがたい彼ら―在唐二十年、放浪の果て、高僧鑒真を伴って普照はただひとり故国の土を踏んだ…。鑒真来朝という日本古代史上の大きな事実をもとに、極限に挑み、木の葉のように翻弄される僧たちの運命を、永遠の相の下に鮮明なイメージとして定着させた画期的な歴史小説

ずいぶん昔からいつかは読みたいと思っていた小説です。映画にもなっているが映画は観ていない。遣唐使にまつわる小説だということだけは知っていた。今、奈良県では「平城遷都1300年記念・大遣唐使展」が開かれていると聞く。我が国から初めて遣唐使が遣わされたのは630年のこと。最終は894年に第20次の使節が遣わされている。第20次と書いたが遣唐使の数え方には12回説、14回説、15回説、16回説、18回説、20回説と諸説がある。これは中止となった遣唐使や、送唐客使(唐からの使いを送り返すための遣唐使)などを回数に数えるかどうかで変わってくるかららしい。20回説は一番広範に回数を捉えた数え方ということになる。そして本書『天平の甍』に描かれた遣唐使は733年(天平5年)の多治比広成を大使・中臣名代を副使とする第10次遣唐使である。本書ではこの船で唐に渡った4人の留学僧、普照、栄叡、戒融、玄朗を主要な登場人物として、そのうちの普照が唯一人20年近く後に高僧鑒真を伴って帰国するまでを描いている。この4人の留学僧は後世にさほどの名を残すことの無かった謂わば無名の僧ではあるが、それぞれの考え方によってその後どのような生き方をたどったかがずいぶん違う。ひたすら勉学にいそしむ者、還俗して唐の女と結婚し子をもうける者、出奔して托鉢僧となり各地をさまよう者、それぞれの人生模様がある。またその他に以前の遣唐使として入唐し科挙に合格し唐朝の官吏となった阿倍仲麻呂や入唐後30年あまりをひたすら写経に費やした業行の生き方も描かれている。生き方はそれぞれ興味深く深く考えさせられるところもあるので小説としてもっと劇的に描くことも可能だったはずだが、井上氏はあえて恬淡とした筆致で描いている。そこに井上氏のどのような意図があるのかは計り知れないが、そのような描き方をすることでそれぞれの留学僧の生き方について読者自身が自らの視点で思いを馳せることが出来るのではないかと思う。

遣唐使船は1隻に120人~150人ほど乗船したそうである。多いときは600人ほどで編成されたようだ。当時の航海技術からして無事に唐へ着ける保証など何もなく、ましてふたたび日本の地を踏めるかどうかを考えたとき極めて危ういと言わざるを得ない。しかしそれでも20回にわたり遣唐使は編成されたのであり、遣唐使船に乗船し唐を目指したそれぞれの人について数奇な運命の巡り合わせがあったはずである。阿倍仲麻呂のように帰国を願いながらもかなわず唐で生涯を終えた者もいれば、入唐すら果たせず海の藻屑と消えた者もいる。そのような中で運にも才能にも恵まれ後世に名を残した山上憶良吉備真備最澄空海などもいる。歴史とは「才能の屍の積み重ね」なのだと改めて想う。

ちなみに本書とは対照的に遣唐使にまつわる話を劇的にエンターテイメントとして描いた本があります。『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』(夢枕 獏(著)/ TOKUMA NOVELS)、これは楽しめます。

http://d.hatena.ne.jp/Jhon_Wells/searchdiary?of=1&word=%BA%BB%CC%E7%B6%F5%B3%A4