佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

きつねのはなし

6月7日

きつねのはなし

「僕はここに弁当を届けたことがあるんですよ」と私は言った。驚いたことに彼女はそのときのことを覚えていた。
「代金を渡したとき、あなたの手がとても冷たかったのを覚えています」
彼女はいつもそんな風に、少し強張ったような喋り方をした。
「冬でしたからね」と私は言った。
「あれが初めてお弁当を宅配してもらった日だったのですが、それきり宅配を頼むのはやめてしまいました。あの手がとても冷たくて、可哀想でしたから」
そう言って彼女はすまなさそうに笑った。
                    (本書P11より)

IMG_0025

『きつねのはなし』(森見登美彦/著・新潮文庫)を読みました。

裏表紙の紹介文を引きます。

「知り合いから妙なケモノをもらってね」篭の中で何かが身じろぎする気配がした。古道具店の主から風呂敷包みを託された青年が訪れた、奇妙な屋敷。彼はそこで魔に魅入られたのか(表題作)。通夜の後、男たちの酒宴が始まった。やがて先代より預かったという“家宝”を持った女が現われて(「水神」)。闇に蟠るもの、おまえの名は?底知れぬ謎を秘めた古都を舞台に描く、漆黒の作品集。

森見氏の小説の常として京都ものである。しかし、氏の他の小説と違ってちょっと怖ろしい怪談ものになっている。現代にあってもそこかしこに古さの残る街には、ちょっとしたきっかけで怪しい世界に足を踏み入れてしまいそうな危うさがある。何と言ったらよいのだろう、目には映らず普段は気づかないがもののけの住む異相世界があり、何かの弾みに人が迷い込んでしまう怖さのようなもの、森見氏はこの短編集でそんな世界に読者を誘ってくれる。

この短編集においては、森見氏の他の小説(たとえば『夜は短し歩けよ乙女』)のように外連みたっぷりの文章は陰をひそめ、非常に洗練された文章である。私は森見氏の外連みを帯びた文章の大ファンであるが、こうした美しい文章にふれるとなお一層森見氏のファンになる。氏が作品のテイストによって描き分ける力量を持っていることがはっきりと判る。

中川学氏のカバー装画も黄色が印象的ですばらしい。

 

(追記)
第一話「きつねのはなし」に登場する女性(ナツメさん)が非常に魅力的です。ブログ冒頭に引用した僕と彼女(ナツメさん)の会話を読めば解っていただけるでしょう。森見氏の描く女性はそれぞれ魅力に溢れています。

 

 

きつねのはなし (新潮文庫)

きつねのはなし (新潮文庫)

 

 

 

ウェルズの本棚booklog.jp