そのとき画家はまさしく空と地のあいだに立つ
そのとき画家は星のまばたきを射る
いま 星はこんなに近い
私はミロの足に導かれるだろう
骨だけの星に 指ほど近い星に
ミロにならって とんぼの誕生日を祝おう
この長い島々の国で
あなたがもたらした第五の季節の ある晴れた日に
(瀧口修造 詩画集”ミロの星とともに”より)
『美の旅人 スペイン編』(伊集院静:著/小学館文庫)を読みました。
まずは出版社の紹介文を引きます。
第1巻
人はなにゆえ旅をするのだろうか? 作家・伊集院静がたった「1枚の素晴らしき絵画」にめぐり逢うため、スペイン・マドリードのプラド美術館から旅をはじめる。
まずは“黒い絵”シリーズの『砂に埋もれる犬』をはじめとする天才フランシスコ・ゴヤの作品群とその軌跡をたどり、カスティーリャ地方からゴヤの生まれたアラゴン地方へ。
異端の画家ゴヤは、何を見ていたのか? ゴヤが師と仰いだベラスケスや謎の多いエル・グレコの作品を前に、作家の目に映ったものとは?
スペイン絵画の巨匠たちを、読んで旅するビジュアル読本待望のオールカラー文庫化。
第2巻
サルバドール・ダリ。20世紀の画家の中でとりわけ異彩を放つスペイン絵画の鬼才。
生涯演じつづけた異端の人はいったい何をしようとしていたのか? 演じることのみによって新しい創造世界が生まれるのか? こう問いかけながら、旅はマドリードからカタルーニャ地方へとつづく。フィゲラスで過ごした少年時代からシュルレアリストたちとの交流。さらに最愛の妻であり創作の源であったガラとの出逢い。そして富と名誉を手に入れながらも悲劇が訪れる晩年。その奇抜な作品群と数奇な運命を辿る。読んで旅するビジュアル読本、迫力のオールカラー文庫化第2巻。
第3巻
スペイン絵画を巡る旅の最後は伊集院氏が最も楽しみにしていた巨匠ジョアン・ミロが登場する。「創作は大地から生まれるものだ」と明言するミロは故郷タラゴナと晩年を過ごしたマヨルカ島で何を感じたのか。カタルーニャの空と大地、太陽と星、その地に生きる人々に創作の根幹を見る。さらにピカソやヘミングウェイとの交流、内乱や大戦の惨禍を経て、徐々に象徴化・抽象化していく作品群に触れながら90年の生涯を通じて、探し続け、求め続けたひとりの画家の真実に迫る。読んで旅するビジュアル読本のオールカラー文庫化、スペイン編がついに完結。
伊集院氏のスペイン絵画を巡る旅はスペインを、そしてスペイン人を知ろうとする旅だ。スペイン人を動かすものは何か。それはスペイン人の血である。血とは感情である。理性ではない。伊集院氏はこの旅を通じて、スペイン人の感情を血の流れる音を聴いたに違いない。それは先日読んだ小説『楽園のカンヴァス』において原田マハ氏が「画家を突き動かすのはPASSION/情熱である」としたのと同義であろう。しかし私にはゴヤが理解できない。スペインはあまりに遠く異質なのか。
ダリのファンは多い。美術館に足を運んだことのない人も、サルバドール・ダリの名を知っている。申し訳ないが私にはダリの良さがわからない。ダリの画にはマスコミのうしろにいる大衆を意識した計算があるように感じてしまうのだ。ダリはマスコミを意識して演技し、マスコミはダリを売り、大衆はダリを消費し続ける。もっともらしい理屈で味付けられた画を訳知り顔で眺めることなど想像しただけで赤面ものだ。ダリの上向きにピンとはねたカイゼル髭とぎょろりと見開かれた目を痛々しく感じるのは私だけだろうか。ただし、1925年作の「窓辺に立つ少女」は別物だ。すばらしい。
美を巡るスペインの旅の締めくくりはミロ。私はゴヤ、ダリを好きにはなれないが、ミロには心惹かれる。自分でもはっきりとしないのだが、ひょっとしたら生き方とその生き方から感じ取れる人格がその原因なのかもしれない。絵画に人格を求めるなど笑止。しかし描き手と描き手にまつわる伝説も含めてその画を見つめるならば、「好き」か「嫌い」かの判断にバイアスがかかってしまうのもやむを得ない。というより好き嫌いをどう感じようと自由であるはずだ。ゴヤの「砂に埋もれる犬」とミロの「月に吠える犬」を観た時、私の好みははっきりと分かれる。
最後にヘミングウェイがミロの初期の作品『農園』を評した言葉が素敵なので記しておく。
この作品には、スペインに行って、スペインの土地で感じるものと、遠くにいてスペインを想う時に感じるものの、まったく異なったふたつのものが同時に描かれてある。ふたつの異次元を描いた画家は他にいない