「良化法が成立する前は自由に書けたんですか?」
もちろん、という返事を期待していたのだが、当麻から返ってきたのはまず苦笑だった。
「あまり変わりはしませんでしたよ。それは当時の私の先輩諸氏に伺っても同じでした」
郁の失望した表情が分かりやすかったのだろう、当麻は苦笑のままで続けた。
「例えば片手落ちという言葉を使うと身障者差別だと投書が来る。辞書を引けば身体的な特徴を示す言葉ではなく、二つの事実のうち片一方しか考えていないような不公平な処置やえこひいきを現す言葉だとはっきり書いてあるにも関わらずね。前後の文脈を考えればそれが差別のために使われた言葉ではないとはっきり分かるにも関わらず、色んな言葉に対してしたり顔でそういう指摘をする人は当時からいたのです。これにまず校閲が屈する。差別と解釈される恐れがあるから望ましくない、という指摘がくる。盲撃ち(めくらうち)、盲船(めくらふね)、按摩(あんま)、乞食(こじき)・・・・・・・物語の状況や時代背景も考えず、読者の圧力で出版内部から単語レベルでの自主規制が始まる」
(本書P89)
『図書館革命』(有川浩・著/メディアワークス)を読みました。
まずは出版社の紹介文を引きます。
正化三十三年十二月十四日、図書隊を創設した稲嶺が勇退。図書隊は新しい時代に突入、そして…。極上のエンターテインメント『図書館戦争』シリーズ、堂々の完結編。
ついに図書館シリーズ完結編。本が検閲され、権力に不都合な発言が抹殺されるというディストピア小説として、甘々悶絶ラブコメとして存分に楽しみました。ただ本書の中ではメディアは弾圧される側として描かれていますが、現実にはメディア自身による差別的用語の自主規制が気になるところ。メディアに良識があるというのは幻想であって、それどころか浅はかで偏った考えにをまき散らし、さもそれが正しいかのように振る舞うマスメディアにこそ危険を感じるのは私だけでしょうか。だからといってマスメディアを規制せよとは言いませんけれど。