佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

偏差値70の野球部

「左投手対左打者では、左投手が有利なんです」

 ヒカルさんは少し考え込むように黙り込んだが、二秒ほどして、「なんで?」と、俺に顔を向けて訊いた。

「だから、左打者は左投手のリリースポイントを背中に背負う形になるじゃないですか。そうすると、バッターの肩越しにボールが来るから、死角に入って見えにくくなります」

「バッターの立ち位置を変えれば済むんじゃないの? それにその理屈だと右打者対右投手だと右投手が有利ってことになるけど」

                          (本書・レベル4・実践応用編P89より)

 

『偏差値70の野球部 全4巻』(松尾清貴・著・小学館文庫)を読みました。

 

 

まずは出版社の紹介文を引きます。


リトルリーグで全国ベスト4、中学二年で全国大会準優勝まで所属チームを導いたピッチャー・新真之介は、甲子園優勝ののちプロ野球入り、果てはメジャーリーガーになるという未来予想図を描いていた。
ところが甲子園常連校への野球推薦を逃し、一般入試で猛勉強の末に合格したのは、なぜか野球の名門ではなく、東大合格者数全国1位の超進学校だった。
入学早々、三年後に見事な桜が咲くよう精励すべしと熱血な訓示を垂れる担任に呆気にとられ、オリエンテーションでは、学歴の本当の強みは日本で最も優秀な高校での横の繋がりにこそあると豪語する同級生に猛烈な違和感を覚えながら、真之介は野球部を探す。
そしてついに見つけるのだが、そこで出会ったのは、野球部のグラウンドを占拠する映研の女子生徒たちと、ドイツ語教師でサッカーしか知らない外国人の野球部監督だった。
その監督・セバスチャンの策略で、真之介は「2年で甲子園に出る」約束を全校にさせられてしまうのだが‥‥。


 

 

 購入後1年以上、積読本となっていました。もともと小学館が発刊している『STORY BOX』の連載を愛読していた小説である。『STORY BOX』の姿勢に疑問を感じ購読を止めたので話の中途でとまっていたのだ。「いつ読むか? 今でしょ」って訳でもないのだが、世間は今、夏の甲子園大会に沸き立っている。そろそろ読むかと本棚から手に取った。全4巻の長編ですがテイストは軽妙。

 私は野球部が嫌いだった。その気持ちを今も持ち続けている。執念深いのである。中学生の頃、私は陸上部だった。そして私の通う中学校の校庭は部活の時間になると野球部が占有していた。野球部のヤツらはそのことに何の疑問も罪悪感も持っていないようだった。グラントの周りを私たちは走っていた。時々ボールが飛んでくるのに気をつけながら。野球部のヤツらの眼には我々の姿など入っていなかっただろう。そんな訳です。

 東大合格率全国1位の海應高校野球部。野球強豪校でいうセオリーの枠内で戦ったのでは絶対に勝てない。物理の理論を基に海應セオリーで戦おうとするところが痛快でした。そのことは私の野球部に対する屈折した心を隠微に癒してくれたのである。フフフ・・・。

 だいたい監督や解説者が自信満々に説くセオリーは本当に正しいのか。正しいとすればどうした前提条件、情勢のもとでそう言えるのか。私は五十数年間、この日本という野球の盛んな国に住んでいるが、未だわからないのである。少なくとも私は、野球関係者の間でセオリーとして認識されていることを論理的かつ科学的に解説された場面に出くわしたことがない。

 もちろんこの小説はフィクションであって、地道に体を動かす練習を長期間にわたりひたすら、それこそ来る日も来る日も血の小便が出るほど積み重ねた者で固めたチームに、ろくに練習もせず理屈で野球を解明しようとする者が勝つことなど不可能だろう。おそらく野球バカ(ほめ言葉です、念のため)からすれば噴飯ものであって、人によっては怒りすらおぼえるだろう。しかし、世間が高校野球一色になるこの時期、「左打者には左投手が有利」だとか「無死1塁なら犠牲バントで走者を進めるほうが有利」などというセオリーを、何の検証もなく盲目的に信じているバカ(これは、けなし言葉です)を見るにつけスカッとした気分になります。現状正しいとされているセオリーを盲信することなく、自ら解析した物理的・科学的アプローチによって強豪校と互して戦うという夢物語に拍手を送りました。