佐々陽太朗の日記

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『北大路魯山人』(小松正衛・著/保育社カラーブックス)

北大路魯山人』(小松正衛・著/保育社カラーブックス)を読みました。

 今日、「YUI PRIMAで行く日本再発見の旅」で山代温泉のあらや滔々庵に泊まるにあたって再読したものです。前に読んだのはいつのことだったか・・・。発刊が1995年となっているので、もう20年近く前のことだったかもしれない。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

北大路魯山人がこの世を去って35年、彼の残した美術作品に対する評価は、時と共に高まりつつある。魯山人が世に残した陶磁器の美しさを鑑賞し、そこから彼の芸術家としての生涯を概観する。

 

北大路魯山人 (カラーブックス)

北大路魯山人 (カラーブックス)

 

 

 まずは頁の半分を割いて魯山人の陶磁器、濡額、磁印、書画を写真で鑑賞し、残り半分の頁で魯山人の生い立ちから芸術家としての生涯を概観できる構成の本です。

 魯山人の生涯は概略以下のとおり。

 上賀茂神社の社家である北大路家の次男に産まれたものの、まだ母親の胎内にいるときに父親が自殺したため、生まれて間もなく坂本の百姓家に里子に出された房次郎(魯山人)。その養育先で虐待されているのを可哀相に思った知り合いの巡査である和田家に引き取られたのは良かったが、その和田巡査も数年後に亡くなり、木版師の福田家に預けられたという数奇な幼少期に始まり、十四五歳のころ書道の懸賞に応募し入賞したこと、岡本可亭の弟子となり、やがて独立したこと。三二歳の頃、作陶に興味を覚え、須田青華で焼き物作りに従事する。美食俱楽部を主催し、星岡茶寮の中心的人物として名を馳せるも、美の追究に貪欲で、美のためには他の事をすべてを犠牲にすることを躊躇わない生来の気質が災いして星岡茶寮を追われる。再び野の人となった魯山人はやきものに専心する決心をし、鎌倉星岡窯で製陶に励む。昭和34年11月に病を得て翌月21日、享年七六歳で逝った。

 本書をバスの中で読み、予習のうえ須田青華さんを訪問し、「あらや滔々庵」に宿泊した。「あらや滔々庵」では思いがけず初代・須田青華さんと魯山人の手になる器で食事をさせていただく栄に浴することが出来た。僥倖と云うべきだろう。